がらがら橋日記 中海の畔にて②

 

 ここの畑からは中海は見えないのだが、まばらに立ち並んだ家の向こうには、大山とともに大きく広がっているはずである。黒々とした土は、ほくほくしていて、思わず「いい土だなあ」とつぶやいたら、聞こえたらしく、

「そりゃそげだわね。金かけちょうもん。」

と来年後期高齢者となるMさんが笑った。

 Mさんのところに手伝いに通い始めたその日に、畑を貸すからダイコン播いたらいい、と言われた。畑とはいえ人の土地を借りるのだから、気楽に返事するようなこととは違うだろうという気がして、はいともいいえともはっきり言わずにしばらく様子をうかがっていたのだが、Mさんはぼくの迷いなどまったく気にとめず、収穫までの段取りやら、土作りの手順などを勢いよく説明し、ふんふんと相づちを打っているうちに、どうやら貸借契約が成立してしまった。

 以前、奥出雲で借りた住宅には十坪ばかりの畑があって、せっかくだからと見よう見まねでトマトやらキュウリなど作ったことがある。後から考えれば、何年か休耕期があったからなのだが、何でもおもしろいように実った。それですっかり勘違いしてしまい、植えときゃ育つ、となめきっていたら、翌年からガタンと収穫が落ちた上に病虫害で散々な目に遭った。それでも土や植物に触れているとそれだけで時の質がぐんと豊かになるのを感じていたので、いつかまたできたらと思っていたところに天恵があった。

「ここでは私が先生だけん。」

 と言って畝の作り方を実演するMさんを見ながら、まったくの初心者としてMさんに従おう、ちょっとかじったことがあるなどという思い上がりは厳禁だぞと思う。鍬を受け取って隣に畝を作る。

「せせこましいことしなさんな。」

 顔は笑っているのだが、先生から容赦ない叱責が飛んだ。きょとんとしていると、畝の間が狭い、それじゃあ腰を下ろして作業できない、ということだった。Mさん、ズバッと本質を突いてくる。そうなのだ、こういうところにぼくという人間のいじましいさが表れるのだ。あれこれと小さなことを惜しんでろくな収穫のなかった過去から全く学んでいない。いや学んだとしても地金がひょっこり顔を出すのだ。

「38年、月々決まった給料もらってましたからね。せせこましいサラリーマン根性が染みついていると思います。」

 自虐っぽいが正直な思いを言う。さすが先生である。つまらん同情はしない。

「まったくその通り。」