ニュース日記 844 不透明化する世界と巨大氷山

 

30代フリーター やあ、ジイさん。予測困難な時代、不透明な時代と言われ、その度合はここ数年いっそう増しているように感じる。

 新型コロナウイルスがここまで生活と経済の足を引っ張ることをどれだけの人たちが予測していたか。ロシアがウクライナに攻め入り、その侵略戦争が半年以上にも及ぶと何人の専門家が考えていたか。まして安倍晋三が選挙演説中に凶弾に倒れることなどだれも想定していなかったはずだ。

年金生活者 長期的に見るなら、世界経済を覆っていたデフレ基調が急にインフレ基調に転換することを予測した専門家がどれだけいたか。中国がアメリカと張り合うほどの経済大国、軍事大国に成長すると覚悟していた政治家はどれだけいただろうか。

 予測の困難さ、不透明化の最大の要因は、目に見えるものをもとに世界を理解するのが難しくなったことにある。唯物論が通用しない時代になったと言ってもいい。富の稀少性の上に成り立つ唯物論は、資本主義の高度化が加速する稀少性の縮減の進行によって、その基盤を侵食されつつある。

 その大規模な例が中国の「社会主義市場経済」だ。自由競争を原理とする資本主義経済と、自由を認めない一党独裁政治の組み合わせは、土台が上部構造を、言い換えれば経済システムが政治制度を規定するというマルクス主義の唯物論に反する。資本主義という土台の上にはブルジョワ的な自由と民主主義の政治体制が乗っかるはずだというのがマルクス主義の常識だった。

30代 何がそんなねじれを生んだんだ。

年金 高度化した資本主義、すなわち消費の過剰化、産業のソフト化、資本のグローバル化だ。それは民衆の自由を拡張した。消費の自由、職業選択の自由、移動の自由を広げた。それが独裁政権に奪われた自由を埋め合わせている。

 マルクスの描いた近代国家の像はそうではなかった。人間は国家という「天上」と市民社会という「地上」との二重の生活を営むとした点は今の中国も同じだ。だが、人間が「他の人間を手段とみなし、自分自身をも手段にまでおとしめ、疎遠な諸力の遊び道具となっている」(「ユダヤ人問題によせて」城塚登訳)と彼が指摘したような過酷な市民社会は今の中国では消滅しないまでも後退し、民衆はある程度の自由を享受している。それが「天上」での自由や民主主義への欲求を削いでいる。

 これは経済上の利害得失が人びとの行動を左右する度合いが低下したことを意味する。破壊と流血を代償にウクライナに攻め入るのも、それに大規模な経済制裁を科して返り血を浴びるのも、経済合理的な行動とは言えない。いま世界の人びとはマルクスの時代よりもはるかに経済のくびきから解放されていることをそれらは示している。

30代 確実に起きると予想されていることもある。「遠からず人口減少という巨大な氷山にぶつかる」(小沢一郎(事務所)のツイート)ことだ。

年金 国家の主要機能のひとつは富の再分配だ。人口減少、とりわけ生産年齢人口の減少は、分け合うパイを大きくするのを妨げる。 

 生産年齢人口の比率の多い国は、そうでない国に比べて国民の生活は豊かではない。しかし、今の日本のように少数の現役世代で多数の高齢者を養う負担を免れている。貧しいぶんだけ軍隊は貴重な就職先となり、兵の不足に悩むこともない。ロシアはそれに該当する。そうでなかったらウクライナ侵略にも踏み切れなかっただろう。

 ウクライナがロシアに抵抗し続けることができているのも、両国の生産年齢人口の比率が近いことが支えている。ともに65%前後でほとんど差がない。それにくらべると日本は59%と小さい。

 先進国はこの比率が低い傾向にある中で、アメリカは65%とロシア並みの高さを保っている。移民が比率を押し上げ、それがこの軍事大国を支え、アフガニスタンやイラクでの戦争を可能にした。だが、両戦争での挫折はこの超大国の戦争遂行能力を著しく低下させた。ロシアのウクライナ侵略に武力で対抗するのをはなから放棄しているのはそのあらわれだ。

30代 人口減少と自衛隊の関係について永江一石というITコンサルタントがこんな指摘をしている。

「若年人口が激減していてすでに半減、20年後にはさらに半減するのに、防衛費倍増して誰が戦車や戦闘機や軍艦に乗るのか」(「自民党の防衛力強化論は全くの空論:自衛隊の定員割れがこんなに酷い」、アゴラ、6月22日)

年金 防衛力の増強がもはや安全保障の基本戦略にはなり得ないということだ。

 社会保障もこれまのシステムを大幅に組み換えることを迫られている。生産年齢人口の減少が不可避なら、労働生産性を上げるしかない。それには絶えざるイノベーションが必須となる。それは政府がカネや口を出してできるものではなく、自由な市場の中でしか生まれない。

 そのために政府ができること、しなければならないことは規制の撤廃あるいは緩和だ。それは他方で必ず格差を広げる。それを埋め合わせるために教育の無償化など再分配の強化が必要となる。岸田政権はそのどちらにもまだ踏み出していない。