がらがら橋日記 中三の夏

 

 例年そんなにありはしないのに、定年退職したのとコロナが落ち着いたのとで、今夏は中学の同窓会などいくつかの集まりに声がかかった。どれも「満を持して」と誘われたのだが、ここへ来て第7波の感染拡大に見舞われ、いずれも中止になってしまった。とても残念なのだが、動けば動く、とはこのことか、集まろうとした時から思いも寄らないあれこれが動き始めていたのだった。

 中学生の夏は、毎年キャンプと決めていて、段取りのうまい友人に準備してもらって、仲のよい4,5人で海へと自転車を漕いだ。長い長い坂を上り終えると、ガラスの粉を散らしたようなまぶしい日本海が見えてくる。雄叫びを上げて一気に下り、磯の香りを胸いっぱい吸い込み、服を脱いで海に入る。ズボンの下は海水パンツだ。テントを張る。薪を集める。泳ぐ。火をたく。飯盒で飯を炊く。泳ぐ。野菜を刻む。自転車を漕ぐ。食堂でかき氷を食う。泳ぐ。カレーライスを作って食べる。しゃべる。しゃべる。しゃべる。

 日が落ちて、すっかり暗くなると、テントから出した頭が五つ並んだ。目が夜の闇に慣れてくると、誰彼の口から感嘆の声が上がる。見渡す限り降るような星空だ。そのうち見上げているのか見下ろしているのかもわからず、吸い込まれたようになって、空を見つめたまま宇宙の不思議を次々としゃべるのだった。見つける度に声を上げた流れ星も、群れとなって縦横に軌跡を描くようになると誰も静かになり、願い事を三度言うのに集中した。

 高校を卒業してからまったく音信不通だったHと四十数年ぶりに電話で話した。同窓会の連絡を取ろうとした何人かの試みがつながった奇跡だった。中学三年生の時転校してきたHとはなぜか馬が合い、ほとんど毎日、教室で互いの家でおしゃべりや音楽に興じた。Hは「こっちがいい」と誰もが聞いているビートルズではなくローリングストーンズをよくかけてくれた。

 電話では、互いのこれまでを語った。ぼくはほんの数秒で語り終えたが、Hは「ちょっと長くなるけどいいか」と少しはにかむように言って曲折を語った。

「元気に生きているってだけで十分だ。」

とぼくは正直な思いを言った。話しているうちに、キャンプで星空を眺めた話になった。

「俺はあの時に見た空よりきれいな空をあれから一度も見てない。」

とHは言った。ぼくの中で冷却保存されていた中三の全部が急速解凍された。

「ぼくもそうだ。あんな空は一度も見てない。」

 本当にそうだと分かったら、涙が出そうになった。