ニュース日記 839 55年体制の息の根を止めたか

 

30代フリーター やあ、ジイさん。自民の大勝、維新の躍進、立憲の敗退となった参院選の結果をどう見る。

年金生活者 55年体制の息の根を止めた選挙としてのちに総括されるかもしれない。このシステムを担った一方の政党である旧社会党の流れをくむ立憲民主党が後退し、「野党第1党」は名ばかりになったからだ。

 55年体制は憲法改正を阻んできたシステムだった。この体制下では、社会党が衆参両院の議席の3分の1を確保することで、改憲発議に必要な3分の2の議席を自民党に与えないようにすることができた。

 今回の参院選の結果をめぐって、マスメディアは改憲4政党が3分の2の議席を維持したと報じている。それは裏を返せば、かつて自民党単独でなし得た3分の2の議席獲得が今は4政党が束にならないとできなくなったことを意味する。他方、野党はかつて社会党単独で獲得し得た3分の1の議席を1党では獲得できなくなったうえに、自民党以上に改憲に熱心な野党が出現した。

30代 そもそも55年体制なんてまだ残っていたのか。

年金 それが崩れ出したのは30年以上前の東西冷戦の終結にまでさかのぼる。55年体制下での自民党と社会党の対立はアメリカとソ連の対立のコピーだった。米ソが対立しつつ裏で手を握ったように、自社両党は表で立ち回りを演じながら、裏で妥協した。米ソがともに「大きな政府」路線をとったように、自社両党も大きさの程度が違うだけで、ともに「大きな政府路線」をとって高度経済成長をあと押しした。

 当時の自民党を主導したのは保守本流と呼ばれる党内勢力だった。55年体制を崩す動きが強まったのは、本流でない小泉政権が誕生してからだ。冷戦の終結は日本では高度経済成長の終わりと重なった。それにともなって、小泉政権以降の政権は「小さな政府」路線を部分的にではあるが採り入れ始めた。自民党を倒して誕生した民主党政権も同様だった。

30代 参院選に勝利した岸田文雄は憲法改正について「できるだけ早く発議をし、国民投票に結びつけていく」と語っている。

年金 安倍晋三のように改憲を「悲願」とはしていない岸田はどこまで本気なのか疑問が残る。かつてない政治的なエネルギーを要する課題に取り組めば、自らの政権の維持を犠牲にしなければならない場面に遭遇する可能性が高まる。口では「改憲」を言いながら、先延ばしをする選択もあり得る。

 仮に発議にこぎつけたとしても、自民党の改憲4項目の中でも難易度の高い9条の改正は国民投票で否決される可能性がある。9条に「自衛隊」を明記することは、それまであげていた白旗をおろし、代わりに軍旗をあげることを意味する。「平和ボケ」という希少な美点を持つ日本国民の過半がその緊張に耐えられるだろうか。

30代 参院選の終盤で首相経験者が街頭演説中に射殺される事件が起きた。決して深くはないけれど、影のように離れないこの寂寥感、喪失感はなんだろう。安倍晋三に好感を持ったことは一度もないのに、人の死は感情を一変させるのか。

年金 彼と対立した野党政治家たちが一斉にSNSで彼の死を悼む発信をしているのは、有権者の反感を買わないようにするための思惑からだけではないと思う。彼を嫌っていながら訃報を聞いたとたんに反発心を和らげた人たちは少なからずいたはずだ。死は人が人でなくなること、この世ならざら存在になること、神あるいはそれに近い存在になることとして多くの人たちに受け止められる。この世のものである反感や憎しみは行き場を失い、溶解する。私もそんなひとりだ。

30代 歴代首相には見られなかったような激しい「反安倍」の合唱はなぜ起きたのか。

年金 安保法制の強行をはじめとした強権的な政権運営が野党や左派、リベラル派の神経を逆なでしたからだ。

 その政権運営の特徴をひと言で言えば、自民党と社会党が「共存」した55年体制の破壊を進めたことにある。55年体制は、社会全体がまだ貧しかった時代に適合したシステムだった。万年野党の社会党は、その社会の中のとりわけ貧しい層を代表した。その貧しさを埋め合わせるのが政治と考えていた自民党は、基本路線に軽武装と経済優先を選んだ。社会保障政策などをめぐる野党の要求をのみ、代わりに外交・安保などの重要法案をめぐって裏で野党に譲歩させた。

30代 今の自民党とはずいぶん違う。

年金 当時の自民党が野党の要求をのむことができたのは、日本の資本主義が高度経済成長期を迎えていたからだ。政府・与党は経済の牽引車となる第2次産業のインフラを整備するために、財政支出を惜しまなかった。それには税の増収という確実な見返りがあった。

 それがすっかり過去のものとなった時代に政権を担うことになった安倍晋三は「戦後レジーム」、すなわち55年体制からの脱却を目指した。「闘う政治家」を自認していた彼は「妥協」ではなく「対決」を、「軽武装」ではなく「重武装」を目指した。旧社会党の流れをくむ左派、リベラル派は「話が違うじゃないか」と怒り、「アベ政治を許さない」となった。