ニュース日記 838 インフレが変える社会
30代フリーター やあ、ジイさん。この物価高どこまで続くんだ。
年金生活者 そのおかげでいま資本主義は水を得た魚のようになっているのではないか。
30代 しんどそうに見えるけどな。
年金 ロシアのウクライナ侵略で加速したインフレで、富の稀少の縮減にブレーキがかかり、パイを奪い合う競争が激化して、利潤の源泉が広がり出したと考えられる。
資本主義を駆動するのは競争であり、競争を必然化するのは富の稀少性だ。稀少性の目に見える形が辺境であり、辺境の富の稀少性と開発済みの地域の富の豊富さとの落差が利潤の源泉となる。開発された地域からの辺境への投資が利潤を生む。
グローバル化した資本主義はその辺境を急速に狭め、富の稀少性の縮減を加速した。テクノロジーの発達にともなう絶えざるイノベーションがそれを可能にした。それは「生産性を最適状態まで押し上げ、『限界費用(マージナルコスト)』、すなわち財を一単位(ユニット)追加で生産したりサービスを一ユニット増やしたりするのにかかる費用がほぼゼロに近づくことを意味する」(ジェレミー・リフキン『限界費用ゼロ社会』柴田裕之訳)。つまり利潤の源泉が縮小したということだ。
30代 資本主義の終焉が言われるようになった。
年金 その危機を乗り超えようとして資本主義が目指し始めたのが稀少性の復活であり、言い換えれば辺境の人為的な復元にほかならない。「脱炭素」はその代表例だ。まだ使える化石燃料を捨てることによって稀少性を取り戻し、開発地を辺境に後戻りさせることをもくろんでいる。
ロシアのウクライナ侵略はその必要性を低下させつつある。大規模な経済制裁でロシア産の石油に頼れなくなった西側諸国はそのぶん放っておいても「脱炭素」に向かうことになったからだ。つまり、稀少性への回帰、辺境の復活が否応なく始まった。世界的な物価高、インフレはそのあらわれであり、景気拡大は資本主義が利潤の源泉を拡大していることの証左だ。
おそらく資本主義は「脱炭素」政策をこれまでほど必要としなくなり、今後それを徐々に放棄していくだろう。
30代 経済制裁の影響でロシア経済が「ソ連化」する可能性がある、と朝日新聞が報じている(7月3日朝刊)。
年金 経済を武器とした世界規模の「戦争」が、ロシアはもちろん、西側諸国の政府を経済に対する統制強化に向かわせ、かつての東西冷戦が形を変えて再現される可能性がある。
朝日新聞の記事は、自動車産業を例にあげ、ハイテク部品の入手が経済制裁で困難になったため、ロシアの自動車最大手「アフトバズ」が公表した主力車「ラーダ」の最新モデルはエアバッグもABSもないと伝えている。
記事の言う「ソ連化」とは、直接には古い技術への後退を指している。それを巨視的な観点から見れば、これまで縮減の進んできた富の稀少性が復活することを意味する。稀少な富の分配は市場にまかせると、偏り過ぎるので、国家が再分配に乗り出す。それが統制経済であり、ソ連はそれを約70年間続けた。
その間に進んだ産業のソフト化は絶え間ないイノベーションを企業に強い、市場に自由のないソ連はそれに対応できず、統制を続ける政府の崩壊を招いた。ロシアが「ソ連化」すれば、いずれ似た道をたどらざるを得ない。そのときふたたび安い労働力の提供国となる可能性がある。世界経済の第2のグローバル化、バージョンアップしたグローバル化が始まるだろう。
30代 肝心のわが日本はどうなるんだ。
年金 インフレの影響はメンタルな面にも及んでいる。「承認欲求」という言葉がいつのころからか浅ましく愚かな欲求を指す言葉としてネット上で語られるようになった。「承認欲求モンスター」といったぐあいに。この欲求が満たされないことにストレスを感じ、あたかもそんな欲求は自分にはないかのように思いたいために、他人を避難、揶揄しているように見える。
30代 それインフレと関係あるのか。
年金 人びとの「承認欲求」が強まった理由は、消費の過剰化にともなって国家の権力の一部が諸個人に分散し、それを手にしたひとりひとりが相応の処遇を求めるようになったことにある。ところが、それに応じ得る富の豊かさがインフレで後退し始めた。人びとは欲求不満を募らせ、欲求の抑圧へと向かい始めた。
東西冷戦の終結で資本主義のグローバル化が進み、世界経済の基調はインフレからデフレに変わった。それが企業をイノベーションに駆り立て、富の稀少性の縮減を加速し、個人の家計の選択的消費を拡大した。それは諸個人が国家権力の一部を分け持つようになったことを意味する。
ところが、ここにきてインフレへの再転換が始まった。富の稀少性の縮減にブレーキがかかり、承認欲求を満たす条件のひとつが棄損し始めた。
この経緯をひと言で言うなら、承認欲求はデフレによって高まり、インフレによって満たされる機会を奪われたということだ。欲求不満に耐えるために、欲求などないかのように考えようとして、その欲求をおとしめる。それがSNS上で広がっていることだ。