がらがら橋日記 ちょこっと就労③

 

 5月の終わり頃からにわかに依頼が入り始めた。それまでさっぱり仕事がなかったので、就労しました、とも言えないでいたのが、ようやくちょこっと就労の名に恥じない勤務状況になってきた。そのほとんどが個人宅の草取りである。梅雨を機にきれいにしておきたいと思うのは誰も同じで、この時期に集中するのもやむなしだ。

 学校に草取りは付きもので、これまで毎日の掃除、奉仕作業など様々な場や形でやってはきた。とある学校では必要に迫られて草刈り機の購入に至る。どこで買ってよいかもわからなかったので、地元の職員に勧められて森林組合で求める。知らないというのは滑稽なもので、値段も用途もまるで知識を持たないで購入したために、ぼくにとっては明らかにオーバースペックであったことが後に分かった。そもそも森林組合で扱っているのだから、山林作業用のパワフルなものであるのは少し考えればわかることなのだが、すべて後の祭り。家周りの草を刈るとて、もっと軽量簡便安価なもので十分だったのだが、まるで山刀で駄菓子の袋を切っているような釣り合いの取れぬことになってしまった。まあ草刈り機に造詣の深い人などそうそういるものではないので気になどしないが、ごくまれにからかってくる不届き者がおり、そういうときはどう切り返したものか知恵を絞らねばならない。草刈り機にとっては実力を十全に発揮する機会もなく、準備運動ばかりさせられているようなものだが、そのせいもあってかこの10年故障や不具合など一切ない。

 松江に来てからは、農家でもなければ草刈り機を使うこともないので出番など皆無だったが、今回の就労を機に再び使い始めた。ぼくよりも草刈り機に需要があるのだ。それはそれで喜ばしい。

 草取りの依頼者は、その多くが独居老人である。昭和30年代から50年代に家を建てた勤め人の家。つまりぼくの実家と同じ。

「何年か前まで、自分でやっちょうましたがねえ。もうこのごろはいけませんわ。」

「お父さんが生きちょうときはきれいにしちょったに私はわからんだけん。」

 草も木も寿命は人とは比較にならない。草木が旺盛に育つようになったころ、人はすでに年老いている。家を継ぐ人がいなければ、いずれ草木が手に負えなくなることを我々の親世代は想像できなかったのだなあと思う。あのころ想像もできなかった世の中へと変化しているということなのかもしれないが。いっしょに草取りをした同僚が言う。

「庭なんて持つもんじゃありませんね。」