がらがら橋日記 ちょこっと就労②

 

 川沿いのまっすぐな道路はいつしか滑走路となり、力任せに漕ぎに漕いだ。もっとスピードさえ出れば、前を行く怪鳥と巨人の後を追って飛べるはずだ。道がカーブにさしかかり減速をすると、怪鳥と巨人の正体もだんだんと見えてきた。川面を覆った霧の上から工場の屋根と煙突がほどよく霞んで、広げた翼とそれにまたがった人の背中に見えたのだった。

 新聞配達の報酬は月に八千円前後だったが、夢のような金額だった。ぼくは、それでLPレコードを買い、文庫本を買った。誰にも気兼ねすることなく千円札を何枚も使えるなんて、まるで魔力だった。だからひょっとしたら空だって飛べるのじゃないかと思ったのだ。そんなことがあるはずないのはよく分かっていたが、学校の行き帰りと新聞配達に通る道、どこかで異界につながっているような気もするその道が世界のすべてだったから、小さな分だけ想像はどこへでも飛んでいった。ちょこっと就労に誘われたとき、すぐにやってみようと思ったのは、小さいけれど新しい世界にまた出合える、という気がしたからなのかもしれない。

 仕事は便利屋みたいなものだ。依頼者があって、こちらと条件が合えば出向く。例として挙げられたのは、掃除、洗濯、料理など家事全般をはじめ、病院への付き添いや話し相手など極めて多岐にわたっていた。要は困ったときのお手伝いだ。対価としていくばくかお金を受け取るので、ビジネスとも言えるが、仕事の軽重、難易など関係なしの定額だから、有償ボランティアと言った方がいいのかもしれない。団体が仲介をするので、都合が付かないとか、やりたくない場合は断ればよいということだった。

「おれなんかなあ、自分でやれや、って思ったやつは断わーで。」

と、斡旋してくれた先輩が言うので、なんだ、そぎゃんことでいいかや、と気が楽になった。低額をいいことに自分の楽のために家事を外注する向きも当然あるだろう。まあそれはそれで興味があるので、自分でやれや、と腹立たしくなるような仕事もしてみたいと思った。

 初仕事は、実家のご近所だった。独居老人宅で処分のための家具運び出し。これは実家で去年散々やったことである。山となったタオル、紐、紙袋など苦労してかたづけた話をしたら、依頼者の婦人が「わかるー」と手を叩いて笑ってくれた。これまで顔見知り程度だった婦人と一気に距離が縮まった。帰り際、作業代に加えて缶ビールをおまけしてくれた。この仕事、なかなかおもしろい、と思った。