専業ババ奮闘記その2 整理③

 

 まずは、義母の部屋に続く廊下の左側から取り掛かる。仏間経由で入っていた義母の部屋には、廊下を左に折れたところに開き戸があり、そこが正式な出入り口だった。ところがそこが封鎖されていたのだ。畳一畳分ほどのスペースにはスチール製本棚が二つ置かれ、食器類やタッパーなどがぎっしり並んでいる。その前に置いてあるバケツや籠類を退け、本棚の物を下ろしていく。缶に入った米、粉類、容器に入ったままの醤油や酢もある。全部賞味期限は10年くらい前。前回の整理で撤去済みだが、庭側の廊下には小さい冷蔵庫、その上に炊飯器もあった。90歳過ぎまで、自分で材料を買って、食べたいものを調理していたのだ。まだ使えそうなものは台所へ運び、使うことはないだろうと思うものは、燃えるゴミの袋とプラゴミの袋、ガラス瓶を入れる袋へと分けて入れていく。すぐに一杯になった。空っぽになった本棚は使えそうなので、奇麗に拭き、2階の娘の部屋に持って上がる。孫たちがうちに来ると、よく娘の部屋に遊びに入る。本棚に絵本や図鑑を並べておくと、寛大や実歩、そのうち宗矢も手に取って開いてみるだろう。こんなふうにしていくと、義母の部屋整理が、いろいろな範囲に派生していきそうだ。ま、この際、一気にやってしまうか。

 朝のうちに点訳、そのあと午前中一杯片付け、昼食後は休憩して歩きに出、また片付けという日が続いた。廊下の突き当りを終えると、押し入れにかかる。アルバムなど写真類がたくさん出てきた。写真となると、あれこれ迷いそうだから、全部箱に入れて、夫に任せることにする。さらに、日記も何冊か出てきて、その間に薄い冊子が混じっていた。母子会の何十周年かの記念誌だ。活動的な義母は、あれこれの会に所属し、母子会の役員はかなりの期間やっていた。目次を見て義母の名前があるページを開いて読み始める。まだ3人の子育てに奔走している頃のこと、「智恵美さん、お願いがあるけど」と義母が切り出したのが、この原稿だった。「言いたいことは頭にあるけど、書けと言われるとね」。そこで、頭にあることをメモにしてもらい、それをつなげたり、聞き足したりしながら文章にまとめた。言わば、義母と私の合作だ。片づけをしながら、過去へ宝探しに出かけているような気持ちになった。