ニュース日記 828 ロシアの「古い戦争」

 

30代フリーター やあ、ジイさん。ロシアのウクライナ侵略を「古い戦争」と指摘するコメントをいくつか読んだ。

年金生活者 核を使うかもしれないとほのめかすロシアの脅しにその「古さ」が象徴的にあらわれている。

30代 「古い戦争」との指摘には次のようなものがあった。

「ロシアの侵略戦争は、ハイテク戦争という大方の専門家の見方を裏切り、精密誘導ミサイルを使わない大胆な無差別爆撃で多くの死傷者が出るという古い形の戦争となっている」(細谷雄一)

「今、ロシアとウクライナがやっている戦争は、第2次世界大戦とそう種類の変わらない戦争です」(塩崎悠輝)

「21世紀でも古い戦争が起きうるのであり、兵力と士気といった要素を含め考えなければいけないだろう」(小泉悠)

年金 第2次世界大戦を最後に「熱い戦争」から「冷たい戦争」に移った世界の戦争の「本流」に逆らって、すでに「傍流」となった「古い戦争」をロシアが始めたことをそれらは語っている。その「古さ」は無差別殺戮や残虐行為だけにあるのではない。戦争を「冷たい」ものにしている核を「抑止力」としてだけではなく、「威嚇力」「破壊力」としても使うことを排除しないロシアの態度を指している。

30代 「古い戦争」が「傍流」とはいえ残存しているのはなぜなんだ。

年金 この地球上に「古い世界」が残っているからだ。それは前近代を引きずる世界であり、政治体制としては非民主主義の国々を指す。そこでは建前は別として、戦争を違法とする民主主義諸国の価値観は根づいていない。ロシアもそうした非民主主義国のひとつだ。

 非民主主義国は国の数でも人口でも民主主義国を上回る。民主主義国の国民は、民主化すれば豊かになれるのに、と思うかもしれない。だが、現在の非民主主義国が今すべて民主化したと仮定すれば、それらの国々の財政はたちまち破綻し、国家としての機能を果たせなくなるだろう。社会は不安定になり、反乱やテロも起きるかもしれない。

 民主化した国では人権が保障される。国民は生存権を主張し、生活に窮したら政府に救済を求めるだろう。この間まで非民主主義国だった国々は民主的な先進諸国と違って経済的に豊かではない。国民の要求に応じられるだけの財政力はない。

30代 非民主主義の大国である中国は世界第2位のGDPを誇っていて豊かに見える。

年金 ひとりあたりのGDPは先進国にはるかに及ばない。民主化されて、個人の権利が尊重されるようになったら、やはり同じようなことが起きる。

 「古い世界」が、民主的な先進諸国と並んで、いまなお強固に残存している理由をひと言で言えば、富の稀少性が依然として人類を支配していることだ。資本主義の高度化とテクノロジーの発達で先進諸国を中心に稀少性の縮減が急速に進んでいるが、地球全体に及ぶところまでは達していない。

30代 自民党の安全保障調査会は、敵のミサイル拠点をたたく「敵基地攻撃能力」を「反撃能力」と名称を変えたうえで保有するよう求める提言を首相に提出した、と報じられている(4月28日朝日新聞朝刊)。日本の防衛戦略の基本方針である「専守防衛」に反する疑いが持たれている。

年金 「専守防衛」のもとになっている憲法9条は「古い戦争」ばかりでなく「新しい戦争」も否定する非戦・非武装の理念を掲げる。それは戦争をめぐる世界で最も「新しい」理念ということができる。その「新しさ」を手離すようなことがあれば、「古い戦争」をますますのさばらせることになるだろう。

30代 安倍晋三がプーチンを戦国武将にたとえて「非常に合理主義者で、基本的には力の信奉者」と評し、「織田信長に人権を守れと言っても全然通用しない」と語った、と報じられている。

年金 27回も会談し、「君と僕は同じ未来を見ている」と語りかけた相手だから、この期に及んでも「絶賛」しているのか、と皮肉のひとつも言いたくなるが、実は安倍自身は本気でプーチンを尊敬しているのかもしれない。

 わが元首相がプーチンを日本で英雄視されている歴史上の人物にたとえた理由を推測すると、①かつて「蜜月」関係にあった相手を侵略者として急にこき下ろすと、「変節」とか「手のひら返し」とか言われかねない②せっかく税金を注ぎ込んで築いたパイプなので、今後もつないでおけば、役に立つときが来るかもしれない③強権的な体質が似かよっていてケミストリーが合う、といったことが考えられる。

 安倍晋三を支持する右派勢力が、現在の価値基準で過去を裁いてはならないとして、日本の侵略戦争を正当化するのを目にすることがある。「織田信長に人権を守れと言っても全然通用しない」と語る安倍は、逆に信長が生きた過去の価値基準で現在のプーチンを正当化していると言うことができる。

 それは安倍自身がおのれを正当化しているということでもある。「専守防衛」に反する「敵基地攻撃能力」の保有を先頭に立って主張し、非戦・非武装の憲法9条の「新しさ」にあらがう彼の姿は「古い戦争」を正当化する振る舞いと言わなければならない。