専業ババ奮闘記その2 整理②

 

 3月に入って間もない日、寛大の集団登校の練習に娘が付いて行くため、留守番に玉湯に行った。7時20分に娘と寛大は家を出、実歩と宗矢の面倒をみる。実歩が私の膝に乗ろうとすると、宗矢が「うーん」と言って実歩をどけようとし、対する実歩は「宗矢なんか嫌い」と言う。我が子もそうだったなと思いながら、二人の相手。1時間くらいして、1日の終わりのような顔をした寛大と娘が帰って来た。通学路は一山越すので1年生には結構辛いだろう。水分補給をしてから全員で娘の車に乗り込み、寛大と実歩を保育園で下ろし、託児所に宗矢を預け、娘は職場に、私は歩いて家に帰った。

 その10日後には寛大の卒園式があり、実歩と宗矢を預かった。実歩はブロックで遊び、宗矢は歌の本で曲を聴いたり、チョロQが走るのを眺めたり。実歩がお絵描きすると、クーピーを出し入れする宗矢。目をこすり出したかと思うと、11時過ぎに私の腕の中で眠った。しばらくして晴れの卒園式を終えた寛大、忠ちゃんと娘が寄り、皆で帰っていった。

 畑も始動する時季で、ジャガイモだけはなんとか植えたけれども、春野菜の種を蒔くところを起こさねばならない。3月末に、四十九日の法要をすることにしているし、寛大の小学校入学、宗矢の保育園入所に際し、あれこれ頼まれている。そろそろ取り掛からねばと、3月半ばから義母の部屋と仏間、押し入れの整理を始めた。

 実は数年前に、軽トラで何回かゴミ捨てに行っている。義母の動きが鈍くなるにつれ、部屋の中から荷物がはみ出、廊下へと広がり、さらには仏間へ、仏間の廊下まで、箱やら何やらがごちゃごちゃに置かれた状態になっていったのだ。せっかくの雪見障子も開くことさえできない。「ばあちゃん、片付けていいですか」と聞くと、「捨てられんだが。何とかしてくれる」と言われるので、デイサービスに行っている間に少しずつ物を整理していった。防虫効果があるのか、箱や袋の中には固形石鹸が1個ずつ入っている。整理し終わると何年も使えるほどの数が集まった。姪っ子がやって来た時、「えー、庭が見える」と、初めて見たかのように言った。その際、押し入れと、廊下の突き当り畳1畳分は手つかずだったので、まずはそこからだ。