ニュース日記 826 核という権力

 

30代フリーター やあ、ジイさん。ウクライナで苦戦するロシアが核を使うのではないかという懸念は、ひところほど切迫感をもって語られなくなった。

年金生活者 ロシア軍が全土の制圧をあきらめ、東部に戦力を集中しだしたからだろう。

 東部でのロシア軍の任務は都市の壊滅ではない。政権を倒すことが目的ならそれもあり得るが、目標はこの地域の占領と実効支配の確立だ。それには核は役に立たない。

 ただし、核使用の可能性は依然として指摘されている。「欧米などの軍事介入が想定される時や、ウクライナを降伏させたい時にあり得る」(小泉悠、4月7日読売新聞オンライン)。だが、今の段階では「欧米などの軍事介入」は想定されていないし、ロシアは「ウクライナを降伏させ」る方針を当面は棚上げした。

30代 「まさか」のウクライナ侵略をしたロシアのことだから、「まさか」の核使用もあり得るという想定は拭い去ることができない。

年金 そんなロシアでも、並はずれた代償を覚悟しなければならない核の使用は、できればしないで済ませたいはずだ。

 核戦争を今まで抑えてきたのは核のけた外れの破壊力だ。核はそれ自体が使用を抑止する逆説的な兵器と言える。その「抑止力」を「まさか」のロシアも免れることはできない。

30代 核の破壊力の大きさを指して「主権国家の上に立つ存在があるとすれば核保有が現代の最高権力」と主張するツイートを見た。

年金 だとしたら、その権力に縛りをかける核不拡散条約や核兵器禁止条約は主権国家の憲法に相当する。つけ加えるなら後者は非武装をうたう日本国憲法9条に似ている。これら「超国家的な憲法」は私たちを安心させるほどは機能していないが、核使用を抑える力になっていることは確かだ。

30代 ツイートは「最終的には核を使用しうる能力を欠くと核を有する国の言いなりになるしかない」とも言っている。

年金 それが核を「主権国家の上に立つ存在」とみなす根拠になっている。主権国家の権力が自国民しか支配できないのに対し、核は非核保有国を「言いなりに」、つまり支配し得るからだ。

 ただし、この場合、核という権力は「破壊力」としてではなく、「威嚇力」として行使される。もし「破壊力」として行使されれば、この権力は支配の対象を失う恐れがある。破壊された国家は国家たり得ず、したがって支配の対象たり得なくなるからだ。別の面から見れば、権力のほうは権力たり得なくなる。

 このことは核が「主権国家の上に立つ」権力だとしても、その行使にリスクをともなう権力だということを意味する。言い換えれば、綻びが広がっている核不拡散条約であっても、また核保有国への法的拘束力がない核兵器禁止条約であっても、権力としての核を縛り得る余地があるということでもある。

30代 核兵器を「主権国家の上に立つ最高権力」と考えると、アメリカは広島、長崎に原爆を投下したとき「国家の上に立つ権力」になったという見方に行き着く。

年金 そうではない。核は最初アメリカという主権国家の権力の一部になった。それが核の拡散とともに超国家的な権力に変容していった。

 アメリカが広島と長崎に原爆を投下したとき、他の国は核を持っていなかった。通常兵器をはるかに超える破壊力の発現は、核という新たな権力をアメリカが手にしたことを意味したが、それはまだ国家を超える権力ではなかった。

30代 いつから変わったんだ。

年金 ソ連が1949年に初の核実験を行うと、米ソを中心とした核開発競争が始まった。そのエスカレートとともに、核は米ソそれぞれの国家権力の一部にとどまらず、両国の間にまたがる権力としての性格を帯びだした。核の持つ破壊力がますます大きくなり、一国だけでその運用を制御するのが難しくなったからだ。

 核は米ソそれぞれの国家による管理だけでなく、両国による事実上の共同管理が行われるようになった。それが共倒れへの恐怖を前提にした「相互確証破壊」にほかならない。原爆投下から20年を経た1965年に当時の米国防長官ロバート・マクナマラが言い出した。

 そのころにはすでにイギリス、フランスが核保有国に加わり、さらに1964年には中国も初の核実験を行った。進む核の拡散を止めようと1970年に発効したのが核不拡散条約だ。そして核そのものをなくすことを目的とする核兵器禁止条約が半世紀後の2021年に発効した。

 この両条約も、また相互確証破壊も、一国の主権を超えた「国家間システム」と考えることができる。2度の世界大戦で戦争のグローバル化が進み、東西冷戦では核のグローバル化が進行した。それとともに、核という権力の一部が個々の国家から国家間システムに移っていった。資本のグローバル化とともに国家の権力の一部が国連やEUといった国家間システムに移ったように。

30代 ロシアが核を使うのではないかという懸念は強弱の差はあっても、世界中で共有されつつある。

年金 そして、それに劣らず、核を制御する国家間システムがロシアを抑える力として働いていることもまた確かだ。