専業ババ奮闘記その2 職場復帰②

 

 娘が職場復帰してそう経たない頃、合気道部同期Mの訃報が届いた。前の年の同窓会がコロナの蔓延で中止になった。中止の連絡後しばらく経って、Mから電話を受ける。下血が続き、病院で診てもらったところ、診断がつかず、半年ほどあちこちを回って、最後に大腸がんと診断されたという。ひどく悔しそうだった。「診断がついたのだから、治療ができるよ」と言うしかなかった。秋口、メールで「旅に病んで 夢は枯野をかけめぐる」の解釈を問うてきた。芭蕉の辞世の句に、妙に胸がざわつき、すぐに電話をしたが、応答がない。そこで、「旅で病を得たけど、病の床にありながらも、心の裡では行きたいところをかけめぐるという前向きの気持ちではないかな」と返信した。ほどなく電話があり、「軽い脳梗塞で入院してて、病室では電話出れんのよ」とのこと。後で仲間に聞くと、その時、すでに脳転移していたらしい。1月下旬から広島の同期からメールや電話が度々入るが、コロナ禍で見舞いにも行けない。家族で葬儀を終えたそうだとの知らせを受け取った時は唖然とした。還暦を機に、毎年同窓会をするようになったのに、仲間が一人減ってしまった。2年前、松江での同窓会で、我が家に帽子を忘れて帰ったのが最後の思い出になってしまった。

 そんな時、ショートステイのケアマネさんから連絡が入った。血中酸素濃度が最近低いとのこと。夫と相談し、病院に連絡を取ってもらい、週明けに受診することにした。夕方、夫が洗濯物を取りに行った際、病院に渡すようにと記録用紙を持たされていた。見ると、確かに血中濃度が今週に入って低くなっている。そして、驚いたことに、毎日かなりの体液が漏れるのに、体重が退院してから13キロ増え、病気入院前より重くなっていた。

 週明け、ショートステイに行き、福祉タクシーで病院に向かう。一層白くなった義母の顔は退院時よりふっくらしたのに表情が乏しい。「雄ちゃんは元気かいね」の家族を問う言葉もない。家に連れて帰らないことを責められているように思えてならない。夫が声を掛けても、返答はぽつり。しばらくして診察室に呼ばれ、主治医は顔を見るなり、「かなりの貧血ですね」と言われた。そして、「対処療法でやってきたので、色々支障が出て来たかもしれません。検査しますので、入院しましょう」と続けた。