ニュース日記 820 侵攻の可能性は低い

 

30代フリーター やあ、ジイさん。ロシアがウクライナの国境付近に兵力を集めているのをとらえて、ウクライナに攻め入るのではないか、とアメリカなどが懸念を表明している。

年金生活者 先日こんなツイートに出くわした。「今にもロシアが侵攻すると騒ぐ米国に対し、欧州やウクライナはこれをハッタリと見る」。私はこの見方に同調する。

 ロシアとウクライナをめぐる情勢について確かな情報を持たない私が、唯一持ち合わせている判断の物差しは、世界の戦争の本流は、破壊と流血をともなう熱い戦争、リアルな戦争から、抑止力・威嚇力を競い合う冷たい戦争、バーチャルな戦争に移ったという認識だけだ。それに従えば、ロシアがウクライナに熱い戦争を仕掛ける可能性は低い。

30代 ロシアには隠密裏に軍を出してクリミアを奪った前科がある。

年金 クリミアに熱い戦争を仕掛けたわけではない。軍を威嚇力として使う冷たい戦争によってこの半島をわがものにした。

 さっきふれたツイートは、朝日新聞記者の国末憲人がイワン・クラステフという政治学者の見方として紹介したものだ。国末は関連のツイートで「米国は、ロシアが大規模侵攻すると考えがちだが、欧州やウクライナはむしろ、ハイブリッド攻撃を想定する。国境に兵力を集めつつ、エネルギー配給を武器として利用し、サイバー攻撃をしかける手法だ」というクラステフの見方も紹介している。つまり仕掛けるとしたら熱い戦争ではなく、冷たい戦争だという指摘だ。

30代 バイデン政権は、ロシアがウクライナに侵攻すれば大がかりな経済制裁を科すと強調している。

年金 武力で撃退すると言わないのは、タリバンにも勝てないほど自国の戦争遂行能力が著しく低下していること、他方で経済制裁の持つ打撃力が以前より増していることを知っているからだ。

 経済制裁の打撃力の向上は、世界経済のグローバル化によって進んだ。世界がマネーによって緊密につながった結果、経済が攻撃の対象にも手段にもなることが常態化した。現在の米中対立が、互いの経済への攻撃として繰り広げられ、各国が「経済安全保障」を追求するようになったのはそのためだ。

これは同じ冷たい戦争でも東西冷戦では見られなかった現象だ。現在の冷たい戦争には、核という使えない兵器のほかに、経済力という使える兵器が新たに加わった。

デイビッド・スティルウェルという前米国務次官補(東アジア・太平洋担当)が朝日新聞のインタビューで、中国の基本戦略は「戦わずして勝つこと」にあるとして、台湾への即時侵攻の可能性を否定し、経済的な打撃による士気の低下を狙っていると指摘している(2月9日朝刊)。経済を打撃力として使う戦争、言ってみればそれほど熱くないけれど、冷たくもない経済戦のウェートが増していることを示している。

 スティルウェルは中国の狙いを「台湾の経済に打撃を与えて、台湾側が平和的手段を求め、中国と対立する気力をくじくことにある」と分析している、と記事は伝えている。それだけ中国が自らの経済力に自信を持っていることを物語っている。

30代 ロシアには中国ほどの経済力はない。

年金 だから、ロシアがウクライナに対して行使している一番の力は経済力ではなく、軍事力だ。ただし、それは破壊力としてではなく、威嚇力として使っている。熱い戦争の費用対効果の悪さを考えれば、当然の選択だ。国境付近に部隊を展開しているのは冷たい戦争の一環であり、それは相手方の目に今にも侵攻しそうに映らないと効果は半減する。つまり侵攻が差し迫っているように見えれば見えるほど、その可能性が低いという一面がある。

30代 ここに来てプーチンが「交渉」を強調しだし、軟化の姿勢を見せているのに対し、バイデンは「侵攻の可能性はまだ十分にある」と、警戒を解いていない。

年金 ロシアが冷たい戦争に必要な威嚇力を維持するためのパフォーマンスとして小規模な戦闘を仕掛ける可能性は想定し得る。

 いまロシアがウクライナの国境付近に軍を集結させているのは、熱い戦争によってウクライナを占領するためではなく、冷たい戦争によって米欧の譲歩を引き出すためだ。ただ、ロシアが軍隊を集めただけで、それ以上のことをしないでいると、侵攻する気がないと判断され、威嚇力が低下する恐れがある。

 だから、にらみ合いが長引きそうだと、ロシアはただの脅しでないことを示そうと小規模な戦闘を仕掛ける可能性はある。ただし、それはあくまでも抑止力・威嚇力を維持するためのものであり、冷たい戦争の効力を保つための手段として行われるだろう。敵の軍事力を壊滅させたり、国土を占領したりすることを主目的とした従来の熱い戦争とは異なる。

 アフガニスタンやイラクを占領したアメリカは、ロシアもウクライナに同様の仕打ちをすることを可能性のひとつとして想定しているはずだ。だが、ふたつの戦争の泥沼化を目の当たりにし、ソ連時代には自らがアフガニスタンで泥沼にはまった経験を持つロシアが大規模な侵攻をする可能性は薄いと言わなければならない。