ニュース日記 817 憲法に吹く風

 

30代フリーター やあ、ジイさん。先週は謝罪の話が憲法の話で終わった。9条の理念は戦後の国民のアイデンティティーとなったので、その改変を国民投票にかければ、拒絶反応が起きるのは避けられない、とジイさんは言っていた。だが、去年10月の朝日新聞の世論調査では、9条に自衛隊の位置づけを書き加える自民党の改憲案に賛成が47%と、反対の32%を上回った。国民投票で可決される可能性は高い。

年金生活者 世論調査の結果とは逆になった大阪都構想の住民投票の例を考えると、そうとばかりは言えない。

 大阪都構想の例を引き合いに出したのは、都構想も憲法9条も住民あるいは国民のアイデンティティーにかかわる点で共通しているからだ。大阪都構想は2度の住民投票でともに僅差で否決された。2度目の投票(2020年11月)の前に読売新聞が大阪市民を対象に実施した世論調査では、「反対」と答えた人の理由で最多だったのは「大阪市がなくなるから」の73%だった(複数回答)。

 この回答は、大阪市がなくなると行政サービスで不利益をこうむるといった実利的な事情からというよりも、大阪市の存続そのものを切望する気持ちをもとにしていると解釈するべきだろう。大阪市民の多くが大阪市の消滅を自らのアイデンティティーの損傷ととらえたということだ。

 それが土壇場で投票結果を左右したと考えることができる。同じ読売新聞の世論調査では、都構想に賛成44%、反対41%だったのに、投票ではそれが逆転した。感情が実利を凌駕したということだ。9条の書き換えに反対する国民の気持ちについても同様のことが考えられる。

30代 9条に自衛隊を明記すれば戦争になると考えている国民は少ないはずだし、むしろ明記したほうが抑止力を高めることができると考えている国民が多いだろう。実利で考えればそういう判断に傾く。

年金 そう考えながらも、9条の改変には賛成できない国民は多いはずだ。なぜなら、この条項の非戦・非武装の理念は、第2次世界大戦で一敗地に塗れた日本国民に戦後を生きていくうえでのよりどころ、つまりアイデンティティーを与えたからだ。

 9条を含む憲法はアメリカが押しつけたものだが、戦争は金輪際いやだという国民の心情と共振した。それだけではない。天皇を尊ぶ国民の歴史的な心情とも、目に見えないところで共振した。9条の押しつけは日本政府が1条の存在、つまり天皇制の存続を条件に受け入れたものであり、それが国民の9条への支持をいっそう強化したと見ることができる。

 そう考えると、9条に自衛隊を明記する改憲案は、都構想のように土壇場で反対が多くなり、否決される可能性がある。

30代 ハト派のはずの岸田文雄が憲法改正に前のめりの姿勢を見せている。

年金 本気でやるつもりなのか疑わしい。改憲の議論は自民党が党内の結束をはかるときの常套手段であり、岸田もそれを採用しているように見える。

30代 彼は去年暮れ、自民党の憲法改正実現本部の会合に出席し、9条への自衛隊の明記や緊急事態条項の新設など党の改憲案4項目について「早急に実現しなければならない内容と信じている」と強調した(共同通信、2021年12月21日)。

年金 それをとらえて与良正男という毎日新聞の編集委員が、安倍晋三に距離を置きつつある岸田にとって「改憲は首相と安倍氏をつなぎ留める、数少ない接着剤であり、重要な政権維持装置」と書いている(「『安倍離れ』を目論む岸田首相の深謀遠慮」、nippon.com、1月14日)。つまり、改憲を唱えているのは自らの政権のもとでの党内結束を乱さないようにするため、という見方だ。

 2009年に民主党に政権を奪われ、結党以来の危機に陥った自民党が憲法改正草案をまとめたのも、党の結束を保つのが大きな狙いのひとつだったはずだ。「自主憲法制定」は自民党を自民党たらしめているほとんど唯一の理念と言っていい。それが理念たり得ているのは、戦後の日本国家の最大の理念である憲法9条の非戦・非武装に対抗するものだからだ。

 改憲を悲願とする安倍晋三が、歴代最長政権という幸運を手に入れながら、手をつけることのできなかった改憲を、岸田が実行に移せると考えるのは難しい。彼はこの先も「改憲」を唱えて「政権維持装置」を稼働させ続けるだろう。それは改憲の実現の可能性が高まることを意味しない。

30代 北朝鮮が今年4回目のミサイルの発射実験をしたとき「重大かつ差し迫った脅威だ」と防衛相が強調した、と報じられている(日本経済新聞WEB版、1月18日)。改憲の追い風になるかもしれない。

年金 北朝鮮の核・ミサイル開発は、核を一部の大国が独占する「不均衡」を「均衡」に向かわせる動きとみなすことができる。核兵器禁止条約は同様のことを反対方向から目指す動きだ。北朝鮮の核開発が核を増やすことによって「均衡」をはかろうとしているのに対し、核禁条約はゼロにすることによる「均衡」を目指す。日本国憲法9条の核兵器版であり、改憲には向かい風も吹いている。