ニュース日記 816 謝罪の効用

 

30代フリーター やあ、ジイさん。芸能人、政治家、企業経営者らの謝罪のニュースが絶えないな。

年金生活者 衣食足りて礼節を知ると、他人にも礼節を求めるようになる。「謝罪しろ」という声も大きくなり、それにこたえなければ地位が揺らぐ階層の人たちが増えてくる。きょうあすの食べ物の心配をしなくて済むようになった私たちの社会に当然起きることが起きている。

30代 みんなが道徳的になったわけでもなさそうだ。

年金 謝罪には効用がある。それは相手にだけでなく、自分自身にも及ぶ。最近それをまた実感した。去年暮れ、通院中のクリニックで受付の担当者に無礼な言葉を吐いたら、あとで苦しくなり、年が明けて相手に謝罪した。気持ちが一気に落ち着いた。

30代 ジイさん、何をやらかしたんだ。

年金 クリニックの受付で、「こんばんは」と声をかけても、黙ったまま顔を上げない担当のスタッフに我慢ならず、帰りぎわに「感じよくないよ」と文句を言った。ところが、相手はよく聞き取れないひと言を発しただけで、あとは黙ったままだった。

 謝罪を期待していた私は不意打ちを食らい、その場面を痛みとともに繰り返し思い出すようになった。そして、次にクリニックに行ったらそのスタッフがどんな対応をするか不安になり、あれこれ想定しては、考えられる自分のいくつかの行動を繰り返し想像するのをやめられなくなった。つまり過去の経験を回想する「事後」の反復強迫(フラッシュバック)だけでなく、未来の経験を想像する「事前」の反復強迫(フラッシュバック)にも襲われた。

30代 期待は裏切られるものだろ。

年金 人は何かを期待するとき、それがはずれる可能性、裏切られる可能性を過少に見積もる。それが期待するということだ。予測との違いもそこにある。だから、期待はずれは不意打ちとなる。心の受けるダメージはそれだけ深くなり、トラウマを形成する。

 私がクリニックのスタッフに言ったのは「嫌味」ではなく「クレーム」のつもりだった。「クレーム」なら社会のルールに従った行動として正当化され、返り討ちにあう心配もあまりない。そんな無意識のずるさも働いていたと思う。そしてルールに従った謝罪を期待した。

その期待の元になっていたのは別の期待だった。「こんばんは」と声をかけたら「こんばんは」と応じてくれるだろうという期待だ。

30代 それが両方ともはずれた。

年金 自分の一連の気分と行動を振り返ると、私は自分の期待をかなえるために、「自己中」なことをずっと続けていたことに気づく。相手にとっては思わぬ災難だったに違いない。そんな私の心の無理が私自身を苦しめることになった。謝罪することにしたのはそれから逃れたいという気持ちからだった。

30代 ジイさんにしては殊勝な態度だ。

年金 たいていの反復強迫(フラッシュバック)は時間がたてば消えるか弱まる。心的外傷(トラウマ)を治癒あるいは寛解させる作用が反復強迫にはある。繰り返し過去の経験を回想することによって、あるいは繰り返し未来の経験を想像することによって、自分の状態と自分の置かれた状況をいやおうなく思い知らされる。それはおのれを対象化すること、対象化によっておのれに距離を置くことを意味する。距離をおいたぶん痛みや不安は和らぎ、やがて消えていく。

 謝罪することにしたときの私はちょうどその段階ににあったと思う。私は自分と自分の置かれた状況を「対象化」し、痛い経験に距離を置くことができた。

30代 で、どんなふうにその「対象化」とやらをやったんだ。

年金 そのクリニックで診察を申し込むときは、受付のカウンターで診察券をトレイに入れ、自分の名前を置かれた用紙に書くだけでよく、スタッフと言葉を交わす必要はない。スタッフはそれを前提に作業をしているから、患者に「こんばんは」と声をかけられても、仕事に集中していれば聞こえないことや応答できないこともあるだろう。

 私はそれに思い至らず、スタッフに「感じよくないよ」と非難の言葉を浴びせた。向こうはいつもどおりにしていたのに、なぜとがめられなければならないのだろう、と思ったに違いない。だから、どう応答していいかわからず絶句するしかなかった。

 以上のようなことを考えているうちに、「感じよくない」のは私のほうだったと思い始めた。そして次にクリニックに行ったとき「大変無礼なことを言って、申しわけなかったです」と頭を下げた。

30代 自分が楽になりたいだけだろ、とよく言われるとおりのことをやったわけだ。

年金 「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」すると宣言した日本国憲法の前文は、戦争を引き起こしたことを世界に向かって謝罪するメッセージとして読むことができる。敗戦で心のよりどころを失った当時の日本国民をそれがどれだけ落ち着かせたことか。

 憲法9条の非戦・非武装の理念はこうして戦後の国民のアイデンティティーとなった。そんな条項の改変を国民投票にかけたとき、拒絶反応が起きるのは避けられないように思える。