がらがら橋日記 城山稲荷
荒れ模様が続いてしばらく閉じこもっていたが、たまたま一日だけ朝から晴れたので、一週間ぶりのジョギングをした。大分間が空いたので、どの程度走ったものか体に尋ねながら慣れたコースを行くのだが、途中ふと思いついて堀川沿いを曲がり松江城に向かった。なだらかな坂を上りきったところに城山稲荷神社がある。ここも久しく立ち寄っていないので、ついでに参拝していくことにした。森の中にあって、日中であっても薄暗く陰気なところなのだが、夜明け前の薄明のもとではところどころ雪を残した石段がうっすら浮かぶばかりである。
改修されたようで、あちこち以前と印象の違う箇所に出くわした。きれいになったぶん薄気味悪さは減じ、通りがかる人もいない早朝にたった一人で参るにはありがたかったが、少々残念でもあった。朽ちるに任せた風情の中でリラックスして見えたお狐様たちもいささか窮屈に見える。
このお稲荷さんは、かつて小泉八雲が足繁く通ったことで名高い。特にお気に入りのお狐様があったというようなことを説明した看板も立てられている。八雲の愛でたその二体は、新設の覆屋に鎮座ましましていた。以前は、他のお狐様と同様雨ざらしだったので、どれが八雲のご執心にあずかったものか想像しながら一体一体眺めていた。今より面倒なだけおもしろかったのだが、八雲が好きだと書いてくれたおかげで風化を免れた。
縁起によれば、藩主の夢に稲荷神が現れ、火事から守るから自分を祀れと言ったことに始まるという。松江の領民たちは、ここのお札を火除けに貼ったというから、庶民の防災意識を高めるのに多大な貢献をしたことになる。やはり領主である。出勤できずに焦るばかりの下賤の夢とは違う。
一月の奥出雲は根雪に覆われていて、田畑も山も境をなくす。夜遅くまで知人宅でご馳走になり、雪を踏みながら歩いて帰ったときのこと。峠を越えると視界がすっと広がった。谷の真ん中、街灯が煌々と照るものの、ほの白く浮かぶは雪ばかり。その最も明るい真下で何かが勢いよく動いている。全ての音を雪に吸われて静まりかえる中、見るとそれは、一匹の狐だった。跳ねたりくねらせたり、四つ足を互い違いに踏んだり。金色の光をまき散らすように舞い踊っていたのである。ぼくはしばらく身動きすることもならず、体が冷えるのも忘れて見とれていた。
あれは、狐の祭りだったのか、手袋を買ってはしゃいでいたか、それとも酔った頭が映した幻影だったのか。もしかしてここのどこかにいる?あのときの狐。