ニュース日記 813 民主主義の限界
30代フリーター やあ、ジイさん。 バイデンは中国に対抗して開いた「民主主義サミット」で「アメリカの民主主義は苦闘のさなかにある」と演説したと報じられている(12月11日朝日新聞朝刊)。
年金生活者 「苦闘」の最大の相手は、大統領選の結果をいまだ認めないトランプを先頭にした国内の一大勢力だろう。というより、そこに露呈された民主主義の限界と言ったほうがいいかもしれない。
民主主義は多数が少数を支配するシステムだ。その根幹をなす多数決原理は、多数の意思を全体の意思とみなし、少数の意思を抑圧する。そうした民主主義の限界は少なくとも富の稀少性が消滅するまでなくなることはない。
民主主義が制度として機能するにはその「限界」を国民が容認することが必須となる。大統領選で「少数者」となったトランプとその支持者らはそれを拒否した。「選挙に不正があった」という根拠のない理由からだったにもかかわらず、大勢の国民がそれを支持した。
中国はそうしたアメリカの民主主義の「不都合な現実」を見透かしているから、自分たちの民主主義がアメリカのそれより優れているとまで言う。「民主主義サミット」と同時期に中国で共産党と政府が主催して開いた民主主義をめぐる国際フォーラムで、中国側の出席者は「米国式の民主主義はすでに問題解決の能力を失い、空っぽの殻に成りはてた」と語っている(12月10日朝日新聞朝刊)。
30代 中国政府は「中国式民主主義を創造した」とアピールする白書を発表したと報じられている(12月4日産経新聞WEB版)。
年金 「民主主義」には反対できないから無理やり強弁しているのではなく、本気で自国が「民主主義」だと考えていると推察される。政治的自由を制限する一方で、経済的自由は相当程度まで容認しているのが彼らの「社会主義市場経済」だからだ。
その体制のもとで中国国民は、建国当時およびそれからの数十年間にくらべてはるかに広がった経済的自由を享受している。改革開放の名のもとに、世界経済のグローバル化の波に乗って発展した市場経済が国民の稼ぐ自由と消費する自由を広げた。それは政治的な不自由を埋め合わせる役割を果たしており、そのぶん国民に支持されていると推定される。これはソ連にはできなかったことだ。
30代 バイデン米政権は、中国政府によるウイグル族への人権侵害などに抗議して、北京冬季五輪に政府当局者を派遣しない「外交ボイコット」を表明した(朝日新聞デジタル、12月8日)。
年金 昔なら「内政干渉」に当たるようなこうした「人権外交」が当たり前に行われるようになったのは、経済のグローバル化の結果にほかならない。
資本主義の高度化は国家の権力の一部を個人、企業(市場)、そして国連など国家間システムに分散させた。消費の過剰化が個人への、産業のソフト化が企業(市場)への、そして資本のグローバル化が国家間システムへの権力の分散を駆動した。人権外交を可能にしたのはこのうち国家間システムへの権力の分散だ。
このシステムには国際機関ばかりでなく、NGOなども含まれ、IOCもそのひとつだ。森喜朗が女性蔑視発言で五輪組織委の会長を辞任したのも、国家間システムとしてのIOCの権力が事実上の解任を言い渡したからだ。問題が日本国内だけにとどまっていたら、あり得ない事態だった。
30代 ソ連と違って人権の抑圧が必ずしも貧困に結びついていない中国に各国は手こずっている。
年金 先進諸国は中国への対抗上いっそう自国の人権の尊重に傾かざるを得なかった。今世紀に入ってジェンダーフリーやマイノリティーの尊重が進展した要因のひとつがそこにあると考えることができる。
前世紀においてソ連が統制経済の超大国としてアメリカと覇を競い合ったことが、冷戦末期に先進諸国を市場原理優先の新自由主義に走らせたのとそれは似ている。歴史は前に進むために、それに反することを必要としていることを示している。
フランス革命は王政を倒したあと、王政に戻る反動を経ながら進行した。歴史は動と反動を繰り返しながらしか進まない、あるいはジグザグにしか進まない。というより動と反動、ジグザグを推進力していると言ったほうがいいかもしれない。
フランス革命の過程が時間的な動と反動あるいはジグザグだとすれば、東西冷戦と米中対立は空間的な動と反動あるいはジグザグと言える。このうち東西冷戦のほうは東側の完敗に終わった。統制経済は自由な競争を必須とする産業のソフト化の妨げになったからだ。
中国の人権抑圧は産業のソフト化を妨げることはない。それに続いて進展したデジタル化も妨げていないし、むしろ促進する面さえ有している。政治の独裁を温存したまま経済の統制を解除することに中国は全力をあげたからだ。だから、米中対立が東西冷戦のように一方の勝利で終わることは今の段階では想定しがたい。ただ、現在の資本主義は従来の資本主義の常識を超える方向へ変容しつつあり、人権抑圧の体制がいつまでもそれに耐えられるという保証もない。