がらがら橋日記 自転車4 西国街道

 

 京都の東寺を起点、山口の下関を終点として江戸時代に整備されたのが西国街道である。S氏に先導されてこの街道を西に進み、途中から南に折れて、万博公園に向かった。

 前夜は、高槻の商店街にある老舗旅館で一泊した。山崎に次いで街道二番目の宿駅が芥川で、同世代とおぼしき十三代目女将にもらった名刺には、宿の住所高槻市芥川町とあった。伊勢物語で女が鬼に食われるあの芥川かと氏に聞いたら、そうだ、とのこと。予期せぬ出合いが楽しい。

「昔は、ここら三十軒も宿が並んでたんですが、今はもうみんなやめはって、うちだけですわ。」

 人も物資も流れが変わっているのだからやむを得ないことで、むしろよくぞ令和となっても続けられたものよとその根性や商魂をたたえたくなるのだが、その割にはたった一人の宿泊客ゆえか手抜き著しく、まあコロナのせいですよね、ということで納得することにした。

 この旅館では、時々噺家を呼んで落語会をするのだと聞き、ついこちらも乗って子ども落語のことなど少し語ったら、女将の声音が急に勢いづいてきた。こんなこともあろうかと、高尾小の子ども落語の記事を持参していたので、女将に見せると、チラッと写真を見るなり、

「いやあ、いいことしてはりますねえ。それが、お客さん、うちではね…。」

 この後、噺家の批評やら、落語会の評判やらが途切れず続き、浴衣やタオルを引き寄せて風呂に入りたいとサインを送るのだが一向に眼に入らない様子でしゃべり続けるのだった。ぼくとしては、子どもが落語を通して成長しているという点に、同じ落語に携わる者として関心を向けてほしかったのだが、女将は記事を再び手に取ることはなかった。

 それでも、落語に対する熱い思いは十分に伝わってきたので、そのエネルギーを宿経営に注ぐべきでは、と心の中でおちょくってみたりした。次に落語会を開くときは、必ず連絡をください、と念を押しておいたが、どの程度期待したものか、よくわからない。

 西国街道は、道幅二間半と定められていたというが、確かに四、五メートルの幅でずっと伸びており、車が行き交うには不便だが、歩くには十分、自転車にはもってこいのルートである。郡山本陣など貴重な文化遺産もありはするが、昔を偲ぶものなどほとんどない。しかし、この道幅の両側に生活を感じつつ移動することが古を想起させるのか、往事の人馬のにぎやかな往来がたびたび浮かんでくるのだった。