ニュース日記 803 象徴の変貌

 

30代フリーター やあ、ジイさん。「多くの人が納得し喜んでくれる状況ではない」という理由で、結婚式などの儀式を一切せず、婚姻届を出すだけにした秋篠宮の長女の眞子と小室圭の結婚は、皇室の権威の著しい低下をあらわにした。われわれがうんと言わない結婚は許さない、と相当数の国民が考えていることを推察させる。

年金生活者 背景には何度も言ってきた国家から個人への権力の分散がある。資本主義の高度化とテクノロジーの発展は選択的消費を必需的消費と肩を並べるところまで増大させた。国民が自らの選択的消費を一斉に控えれば、ときの政権を倒すことができるようになったということだ。それは国家の権力の一部が諸個人に分散したことを意味する。

 分散した権力を手にした諸個人はそれに相応する処遇を求めるようになり、自分たちを軽んじる政府、政権、政党などを許さなくなった。その対象には皇室も含まれる。今後は皇族だけでなく天皇に対しても、不満があれば遠慮せずぶつけることがありふれたことになる可能性がある。

 戦後の復興に向けて国民を励ました昭和天皇、国民の平和への希求をあと押しした先代の天皇はともに国民の気持ちを支えたという意味で力のある「象徴」だった。これに対し、これからの天皇は現職を含め、それだけの力を持たない文字通りの「象徴」としての色彩を強めていくだろう。

30代 眞子が「複雑性PTSD」と診断されたと宮内庁が発表した。小室圭との結婚をめぐって「誹謗中傷と感じられるできごとを、長期にわたり反復的に体験」したためとしている。

年金 SNSには「誹謗中傷と感じられるできごと」が枚挙にいとまがないほど並んでいる。代表的なのは「税金で生活してきたくせに国民が納得しない結婚をするのは許さない」といったたぐいのものだ。

 「税金で生活」しているのは議員や官僚も同じだ。その結婚が納得いかないという理由でバッシングされたという話は聞いたことがない。彼らが国民に奉仕する仕事をし、その報酬を税金から受け取っているという建前があるからだろう。

 天皇や皇族は目に見える形で国民に奉仕する仕事をしているわけではない。それにもかかわらず、税金から生活費などが支払われるのは、一般の国民より上位の存在であること自体に価値があるとみなされ、それに対する対価には公金が充てられるべきだと考えられているからだ。憲法の定める「象徴」はそうした「上位性」を暗黙の前提としている。

 彼らが奉仕の仕事をしていないぶんだけ国民は税金で彼らを養うことに厳しい条件をつける。そのひとつが私事にまで踏み込んだ注文だ。結婚が「上位」の存在にふさわしいかどうかを問い、そうでなかったらダメ出しをする。眞子と小室はその嵐にさらされた。

 「明日の自由を守る若手弁護士の会」というグループが、ふたりの結婚への非難を「人権意識の低さ」と批判し、天皇や皇族にも生まれながらにして人権があるのに、それがほとんど奪われている、とする意見を表明したと報じられている(「弁護士ドットコムニュース」、10月1日)。

 天皇や皇族の人権を奪っているおおもとは日本国憲法第1章の天皇条項だ。その同じ憲法が国民主権をうたっているという矛盾が「税金で暮らしながら国民の納得しない結婚をするのか」といった「主権者」からの非難を噴出させた。

 そうした矛盾を解消するには憲法第1章を削除して、天皇制を廃止するしかない。廃止しても、皇室を宗教法人か財団法人にでもして「民営化」すれば、多くの国民が支援を惜しまないはずだから、天皇も皇族も生活に困ることもなく、品位も保てるだろう。

30代 皇族の結婚をめぐって国民の賛否が割れ、日本国憲法に定められた「日本国民統合の象徴」の足もとが国民の「分断」の震源になるという事態は前代未聞だろう。

年金 憲法はひとつの体系をなしており、一個所にほころびが生じると全体が揺らぐ可能性がある。とりわけ天皇の地位を定めた1条と戦争放棄をうたう9条とはワンセットの条項として制定された経緯があり、1条のほころびは9条のそれと連動する可能性がある。

 1条と9条がワンセットという意味は、アメリカが日本を軍事的に無力化する見返りとして天皇制の維持を容認したことを指す。わが憲法は天皇をいただく前近代性と、非戦・非武装をうたう超近代性との均衡によって成り立っている。

 したがって、今回の眞子・小室の結婚問題のように、日本国民の「統合」どころか「分断」を引き起こすような事態が出現すると、9条もその理想から逸脱して形骸化する恐れがある。

 いま眞子と小室を擁護する声は左派・進歩派に多く見受けられる。つまり9条護持派に多い。1条と9条の密接なつながりを示すものだ。もし天皇制の廃止を求める声がこれから出てくるとしたら、左派・進歩派からではなく、右派・保守派の一部からのような気