ニュース日記 798 もっと平和ボケを

 

30代フリーター やあ、ジイさん。日本人は平和ボケなので、タリバンにカメラを向けたら殴られたとか、カメラを取り上げられたとかといったことを聞くと、タリバンは野蛮だという話になるが、そんなことは軍隊や警察ならどこでもやっていることだ。そんな趣旨の話をイスラム法学者の中田考がユーチューブで語っていた。

年金生活者 私はそのリアリズムに啓発され、賛同する一方で、「平和ボケ」は戦後の日本人の美点なので、「ボケ」から覚めたりしないでほしいとも思った。

 「平和ボケ」の核心にあるのは、何があっても戦争だけはしたくないという願望だ。それは主観的なものだから、もしどこかの国が攻めて来たら、そんな願いは打ち砕かれる。リアリズムを欠いたその危うさを揶揄して「ボケ」という言葉が使われたのだろう。

 しかし、この「ボケ」は戦後の日本で力を発揮してきた。非戦・非武装をうたう憲法9条が変更されずに維持されてきたのはその力があったからだ。その9条の定めの通りわが国は一度も戦争をすることなく今日まで来た。

30代 日本が戦争をしなくて済んだのは、日米同盟が他国からの侵略を阻んできたからで、9条のおかげではないという主張がある。

年金 日米同盟が侵略を抑止する力になっているというのはその通りだ。だが、もし9条がなかったら、日本はアメリカに言われるままベトナム戦争やアフガニスタン戦争、イラク戦争に参戦していたに違いない。

 故中村哲が治安の不安定なアフガニスタンで長年にわたって医療や灌漑工事などの支援活動を続けることができたのも9条を背に負っていたからだ。その9条はわが国民の「平和ボケ」によって支えられてきた。それはいまだ戦争の消滅しない世界で戦争のない未来を先取りした態度であり、カメラを向けると殴るような軍隊を野蛮と感じるほど先進的と言える。

30代 中国の海洋進出をはじめ安全保障環境が厳しくなっているのに、何を寝ぼけているんだ、と批判や嘲笑を受けそうだな。

年金 「安全保障環境が厳しくなった」という見方そのものに私は疑念を抱いている。

 何度も言ってきたように、現在の世界の戦争の本流は、破壊と流血をともなう熱い戦争、リアルな戦争から、抑止力を競い合う冷たい戦争、バーチャルな戦争に移っている。それだけ生命が脅かされる危険が遠のいているということであり、そのぶん「平和ボケ」には住みやすい世界になっている。その意味では安全保障環境はかつてより厳しさがゆるんでいると言える。

 しかし、抑止力の競争は軍備の絶えざる更新とそれにともなう膨大な支出を強いる。おそらくその更新の速度と費用は、最後の熱い世界戦争となった第2次世界大戦のときよりはるかに増していると推定される。その意味では全保障環境は厳しさを増していると言うこともできる。ただし、それは直接には政府あるいは時の政権にとっての厳しさであって、生活者である一般の国民にとってはむしろ「平和ボケ」する余裕ができたということでもある。

30代 戦争の本流はいつ替わったんだ。

年金 東西冷戦からだ。核兵器が人類を何度でも絶滅させる力を備えたために、使えない兵器となり、それが世界規模の熱い戦争、リアルな戦争を抑止するようになった。しかし、東西冷戦当時はまだ熱い戦争、リアルな戦争への志向が強く残っていた。核による世界戦争が抑えられたぶんを取り戻すかのように、使える兵器である通常兵器を使用した局地戦が行なわれた。東西両陣営の代理戦争となったベトナム戦争はその代表的な例だ。

 東西冷戦が終結したあとも、熱くリアルな局地戦は相次いだ。アメリカの主導で始まった湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争がそれだ。しかし、アメリカはアフガニスタンとイラクで反米武装勢力の抵抗に遭って泥沼にはまり込み、撤退を余儀なくされた。この敗戦はアメリカの戦争遂行能力の著しい低下をあらわにした。おそらくこの超大国は二度と同じような戦争をすることはできない。まして中国と戦火を交えることなど考えられない。これもまた「平和ボケ」には好都合だ。

30代 それでも偶発的な衝突の危険はなくならないし、それが熱い戦争の引き金になるかもしれない。

年金 それが社会に慢性的な緊張を強い、膨大な軍事費用は民衆の生活を圧迫している。それを取り除くには、冷たい戦争、バーチャルな戦争そのものをやめさせるしかない。核兵器禁止条約はそれ目指す画期的な条約であり、非戦・非武装をうたう日本国憲法9条の核兵器版だ。その9条を支えてきたのが日本国民の「平和ボケ」にほかならない。

 「平和ボケ」の核心にある、何があっても戦争は嫌だという切実な願望を日本国民だけでなく、全世界の政府と国民に共有するよう働きかけ続けること、それを安倍晋三の「積極的平和主義」の言い方をまねて「積極的平和ボケ主義」と名づければ、それこそ冷たい戦争、バーチャルな戦争を止める力のひとつとなり得る。私たちの国は憲法9条を世界中の国々が見習うよう働きかけ続ける使命を歴史から負わされている。