ニュース日記 797 アメリカの敗戦

 

30代フリーター やあ、ジイさん。アフガニスタンを20年ものあいだ占領し続けてきたアメリカの傀儡政権がタリバンに倒された。

年金生活者 この軍事超大国に局地戦すら完遂する能力が残っていないことを印象づけたアメリカの敗戦だった。

30代 アメリカはそれを「敗戦」と言わずに「撤退」と呼ぶ。日本が76年前の「敗戦」を「終戦」と言い換えたように。

年金 どちらも負けを認めないごまかしという点では同じだが、「撤退」と「終戦」には大きな違いがある。「撤退」は、いったん引くが、いつかまた仕返しに来るという意味を含んでいる。これに対して「終戦」にはこの戦争を「最“終戦”争」にしたいという願望が込められている。日本国民はおそらく世界で初めて勝利も敗北もない次元を目指した。

30代 アメリカがアフガニスタンに侵攻したのは、当時のタリバン政権が9・11テロの首謀者をかくまっていたことへの報復だけでなく、アフガニスタンを民主化する狙いがあった。

年金 日本を占領して民主化した成功体験を引きずるアメリカはその点で76年前からほとんど進歩していない。

 日本で曲がりなりにも民主化に成功したのは、当時の大日本帝国がすでに近代的な中央集権国家になっていたからだ。民主制は国民の「平等」を前提とする。「平等」が成り立つには権力が国家に集中していることが必須の条件となる。権力が社会の諸勢力、諸階層に分散していた封建社会では「平等」はあり得なかった。人びとは帰属する諸勢力、諸階層によって「不平等」を宿命づけられていた。

 部族や軍閥が権力を持つアフガニスタンも同様だった。そこへタリバンはイスラム法のもとの「平等」という理念を持ち込み、中央集権国家の建設を目指し始めた。その途上で9・11テロが起きた。アメリカがタリバン政権を倒したあとに残ったのは、権力の分散したままの以前の社会だった。

 それでも民主化を進めようとすれば、民主制を装った傀儡政権を武力で維持するほかない。アメリカの「敗戦」は論理的にはあらかじめ決まっていた。

30代 アメリカがアフガニスタンを民主化しようとして失敗したのは、民主主義をどんな歴史段階の社会でも有効な普遍的なシステムと勘違いしていたからではないか。論理的にはそう考えていなくても、願望が勘違いを生むことがある。

年金 どんな国家も民衆の支持がゼロでは存立しない。支持を得るには民衆の望んでいることをかなえなければならない。代わりに国家は自らの望んでいることを民衆に強制する。その仕組みが富の再分配にほかならない。

 再分配は歴史段階によって規模と方法が異なる。封建制の社会ではそれを現在の国家より狭い領域内で領主が仕切っていた。近代以降はそれよりはるかに広い領域、民衆どうしが互いに顔を知らないような広い領域で中央集権的な国家がそれを仕切るようになった。それは市場経済の発展なしには不可能で、そこでは国民の均質性、つまり「平等」が前提となる。そのとき初めて民主制への可能性が生まれる。ただしそれが十分条件でないことは中国が示している。

 農業と牧畜が中心のアフガニスタンの社会は、まだその段階には達していない。部族や軍閥が仕切る再分配が依然として多いはずだ。そのため、民衆が切実に「平等」を求める必然性を欠いている。アメリカがどんなに民主主義や人権の価値を説いても、人びとにとってそれが守るべき理念とはならない。頭ではそのよさを理解しても、日常の行動をそれが規定することはない。生活の利害に反すると感じるからだ。

30代 アフガニスタンの権力を握ったタリバンが記者会見で、イスラム法の範囲内で女性の人権を尊重し、国内各派とつながった新政権を樹立すると表明した、と報じられている(8月18日朝日新聞夕刊)。

年金 国家の台所の苦しさを告白した会見と見ることができる。

 アフガニスタンは国家予算の7、8割を国際支援に頼っていて、国家の主要機能である富の再分配を単独で実行できない現状にある。西側先進国の意向に逆らってばかりいては国家としての機能を果たせなくなることは目に見えている。

 人権の尊重、とりわけジェンダーフリーと専制主義批判は、いま欧米諸国が最も重視し、他国にも求める理念のひとつだ。女性を迫害したり、タリバンの単独支配を強行したりすれば、それに逆らうことになる。

 それは先進国に富の再分配を助けてもらわなければやっていけない国家の政府としては(少なくとも露骨には)できないことだ。人権にうるさいことを言わない中国やロシアに頼るだけでは先立つものは足りないだろう。

 アフガニスタンのGDPは9・11テロの翌年の2002年から2021年までの間にアメリカなどのあと押しを受けて3倍近くに増えた。女性の労働力なしには維持できない規模に膨れたと推定できる。

 女性の医療スタッフに今まで通り仕事をするように話すタリバン関係者の映像を報道官がツイッターに投稿していたのは、イスラム法の厳格な適用が不可能になった現実を彼らが認識している証左と言える。