ニュース日記 796 なにが無差別殺人の引き金を引くのか
30代フリーター やあ、ジイさん。小田急線車内での無差別刺傷事件の容疑者は「勝ち組の女性を殺したかった」と供述していると報じられている。
年金生活者 そうした願望とそれを実行に移すこととのあいだには大きな隔たりがある。その隔たりを埋めたものは何か。それを語らない限り、犯行動機を説明したことにはならない。
13年前の秋葉原の無差別殺傷事件をめぐって、当時、物書きたちは一様に「承認欲求」を犯行動機としてあげた。「承認欲求」を持つことと無差別殺人を実行することとのあいだには大きな隔たりがあるのに、彼らはその隔たりを埋めるものについて説明することはなかった。
30代 何が隔たりを埋めたんだ。
年金 人間は死を生の否定としてとらえる。言葉という、否定の機能を備えたものを持ってしまったからだ。生きることは絶えず特定の場所と特定の時間を占めることであり、その意味で徹底して個別的な営みだ。それを否定する死は個別性を脱して普遍性に移行することを意味する。
人を殺すことは普遍性を生み出すことであり、殺される側の普遍性よりも大きな普遍性を獲得することだ。殺す相手が不特定多数に及べば、普遍性の度合いはさらに増す。無差別殺人を実行した者はその普遍性を手にしたくて犯行に及んだという想定が成り立つ。
30代 人を殺す理由にしては抽象的過ぎる。
年金 「普遍的」は英語で「ユニバーサル」だ。「ユニバーサル」には「宇宙的」という意味がある。死が生の否定であり、したがって生の「個別性」を脱することだとすれば、死とは「普遍性」に移行すること、言い換えれば「宇宙的」になること、つまり宇宙と一体化することを意味する。
人間は生涯の最初期にそれを経験する。胎児の時代だ。胎児にとっては母胎が全宇宙であり、胎児は臍の緒を介してそれと一体化している。
万能感と快感を与えてくれる楽園だったその宇宙を追われ、この世界の荒れ野に放り出された人間は、生涯にわたって母胎の宇宙への帰還を求め続ける。無差別殺人者はその願望がだれにも増して強い者たちのひとりと考えることができる。
30代 そんなことで人を殺すか。
年金 胎児は母胎を離れてこの世界に生まれ落ちるとき、母胎の代わりとなる心的な構造をおのれの内部に形成する。動物が「宇宙の一部を切り取っておのれの体内に封じ込め」(三木成夫『胎児の世界』)るように。母胎が「大宇宙」だとすれば、それは「小宇宙」だ。「植物のからだが、太陽を心臓にして、天地をめぐる巨大な循環路の末梢毛細管に譬えられる」(同)のとは対照的に、動物は体壁の内側にも宇宙を持つ。胎児から乳児への転換は植物から動物への転換としてとらえることができる。
「小宇宙」は万能感と快感を与えてくれた「大宇宙」のいわばレプリカであり、失われた「大宇宙」へ帰ろうとする無謀な企てを阻む役割を担っている。宇宙である以上、それは絶えず動いており、その動きを通して平衡を保っている。興奮や緊張によって不均衡が生じると、それを打ち消して平衡を取り戻そうとする。フロイトはそれを快感原則と名づけた。
快感原則には固有の時間がある。興奮、緊張が生じてからそれが解消されるまでの時間だ。その長さは興奮、緊張の度合いによって異なるとしても、一定の範囲内に収まるはずだ。もし、それよりはるかに短い時間で「小宇宙」を変化させる刺激が外部から与えられれば、快感原則はそれに対応できず、「小宇宙」は存立の危機に遭遇する。そこから脱しようとして一気に「大宇宙」に帰ろうとする衝動が生まれる。
だが、それはかなわないことであり、代わりに選ばれることのひとつが死だ。死は究極の平衡状態だ。死を生誕の逆過程と考えれば、それは母胎という「大宇宙」への帰還を代替するものともなる。この死への衝動が自分に向えば自殺の、他者に向えば殺人の企てとなる。
30代 快感原則よりはるかに短い時間で「小宇宙」を変化させる刺激とは何を指しているんだ。
年金 吉本隆明はかつてないような凶悪事件が起きる背景に人びとの「いらいら」があると語った。そしてそれは産業の循環の速度と日常の速度とのずれから生じる、と。前者は快感原則よりもはるかに早い速度を持っていることに私たちは気づくはずだ。
30代 小田急線の事件の容疑者は「ナンパ師」を自称していたことがあるという報道がある。女性にモテるかどうかを人生の重大問題と考えていたように見える。
年金 モテることに過剰にこだわる振る舞いは失われた母を求める行為と考えることができる。幼くして母を亡くした光源氏が母の代わりを求めて女性を次々と口説き続けたように。母を失う経験は死別とは限らない。授乳や排泄の世話がしょっちゅう途切れたとか、そばにいる時間がとても少なかったとか、といった経験が含まれる。
小田急事件の容疑者もその種の経験をして、女性にモテたいと切望し、それが思い通りに行かず、女性に恨みを持つようになったという推測は確かに成り立つ。だが、それが犯行の引き金を引いたと考えることはできない。