専業ババ奮闘記その2 コロナ禍の中②

 

 学校が再開し、二男も平常通りの仕事に戻った。

 新型コロナウイルスの感染が広がっている神戸から、同じく感染者が多い神奈川県に転勤になった長男。コロナ感染拡大による緊急事態宣言が発令され、帰省できないまま転勤先に赴き、見知らぬ土地で過ごしている。救いは、割と近い場所に神戸の事務所で一番親しくしていた先輩が勤めていること。そこにヘルプに行くこともあるようだ。富士山にも慰められながら、何とかやっていけているとのことで、少し安心する。

 娘は育児休暇中だから、新型コロナ感染者受け入れ病院である職場に行くことはない。必要な書類を届ける時などは、厳重にマスクをした本人だけが建物に入り、宗矢は付き添いの私と一緒に車の中で待つようにしている。寛大と実歩を保育所に通わせながら、宗矢と二人家で過ごし、たまに我が家にやってくるという日々だ。

 夫には、帰ってくる度に飲みに行く友人から電話があったというが、断ってもらった。東京の近くに住んでいる人だ。百歳になる義母にうつりでもしたらえらいことだ。家族だけでない。週に二~三度やってくる孫たちを安全な状態にしておかねばならない。

 そうした中、義母の様子が少しずつおかしくなってきていた。これまでは、どちらかといえば暑がりだったのが、ここ数年、やけに寒がりになってきている。言ってもすぐ忘れ、何度も聞き返すし、随分昔に処分したものを出してくれと何度も言う。「智恵美さん、来て。ほら、あそこから誰かが覗いちょう」「これ、私のじゃない。お化けが持ってきたかな」など妄想めいたことも。足腰も弱り、風呂で滑ったのを機に、介護認定を受け、デイサービスに通うようになった。最初に受けた四年前の認定では要支援二、次の年には要介護一、その翌年には要介護二になった。次は三年後に認定をすると言われてから二年経過しているが、明らかに介護度が進んでいるように思う。一年前にインフルエンザで入院し、がたっと身体能力も認知面も落ちた。圧迫骨折をするたびに歩行も難しくなり、今はほぼ車椅子だ。五月も終わろうとしているのに、炬燵をしたままだし、「わけが分からん」を連発する。