ニュース日記 794 中国流の平等と自由

30代フリーター やあ、ジイさん。中国共産党結党100周年の式典で習近平は「中華民族は国外勢力によるいじめや圧迫を許さない。そのような妄想は14億中国人民の血肉で築いた鋼鉄の長城に必ずぶつかり、頭から血を流すだろう」と中華ナショナリズムむき出しの演説をした。

年金生活者 ナショナリズムの高揚は国家が近代化する過程で避けて通れない経路だ。

 近代国家の理念のひとつである「平等」は国家への権力の集中を前提にしている。西欧の封建社会では権力は領主や職業団体、教会などに「不平等」に分散していた。それを国家に集中し、国家だけが権力を持つと宣言したのが絶対王政だ。「平等」をかかげる民主制はそうした国家への権力の集中、つまり国家の絶対性を引き継いで成立した。

 そこにまで至っていない中国はいま、絶対王政に相当する段階にあると言える。ナショナリズムは民主制によって高揚する。国民の「平等」、言い換えれば均質性が、ひとつの国家のもとにまとまることを促す。民主化されていない中国でナショナリズムが高揚しているのは、先進諸国がすでに経験したそれを模倣しているからだ。

30代 だが、先進諸国の「自由」は真似ようとしない。

年金 改革開放で進んだ市場経済の拡大が経済的な「自由」を個人に与え、そのぶん政治的な「不自由」を埋め合わせているから、国民の不満が爆発することはないと踏んでいるわけだ。

 ただ、これから先は経済的な「自由」だけではもたないと考えてもいるはずだ。経済の「改革開放」に成功した中国は、成長が鈍化する将来を見越して、宗教の「改革開放」に乗り出しているように見える。佐藤優が中国の宗教政策について次のような趣旨の指摘をしている。

 経済成長が難しくなったとき、次に民衆の心の拠りどころになるものとして習近平は宗教を想定し、キリスト教など外国の宗教を体制内部に取り込もうと目論んでいる。マルクス・レーニン主義、毛沢東思想という名の宗教が力を低下させている現在、それに代わるさまざまな宗教が国内で勢力を増している。それを無理やり抑えつけるのは不可能なので、共産党に歯向かわないように管理する「宗教の中国化」を進めようとしている(『悪の処世術』と7月9日JBpressインタビューから)。

 中国は宗教の限定的な「自由」化を進めようとしていることが佐藤の指摘からわかる。外国の宗教を体制内部に取り込むことは「改革開放」での外国資本の導入に相当する。

30代 それが政治の「自由」化につながるという希望は見えない。

年金 マルクスによれば、西欧の近代国家はキリスト教から解放されることによって成立した。それまでキリスト教を国教に定めておのれのつっかえ棒にしていたのをやめ、自らの足で立つことで自分自身を宗教化した。つまり国家そのものを信仰の対象に仕立て上げた。それとともに、キリスト教は公的な性格を失い、私的な圏域に追いやられた。

 中国はまだその段階にまで達していない。しかし、マルクス・レーニン主義、毛沢東思想という名の国教は、中国社会の資本主義化の進展とともにその力を減退させ、以前のような絶対的な信仰の対象ではなくなりつつある。言い換えれば、他のさまざまな宗教によって相対化され、公的な性格にほころびを生じさせつつある。

 その意味では中国もまたかつて西欧の諸国家がたどった近代化の過程を反復していると言える。ただし、それが完成に向かう見通し、つまり民主制の国家になる見通しはいまだれも立てられないでいる。

30代 中国が宗教ブームを迎えているとしたら、社会が「モノの時代」から「こころの時代」に移行したということか。

年金 日本でもそうした「移行」が顕著になった時代がある。高度経済成長が終わりを迎えた1970~80年代の「第3次宗教ブーム」と呼ばれた時代だ。オウム真理教や阿含宗、幸福の科学など新・新宗教と呼ばれる信仰集団が動きを活発化させた。共通する特徴のひとつは入信動機の変化だった。それまで主要な動機だった「貧・病・争」が、「自分探し」や「自己実現」など心の救済に取って代わられた。

 高度経済成長を経て飢えや貧困から解放された国民は、新たな精神の自由を求めるようになった。それまでは飢餓と貧困からの脱出そのものが精神の自由を保障した。その時代が終わり、そうした自由の基盤が失われたばかりか、高度成長によって築かれ社会は新たなストレスを人びとに強い、精神の自由を拘束するようになった。

 そこからの解放への欲求が「第3次宗教ブーム」の背景にある。それは新・新宗教の誕生だけにとどまらなかった。オウム真理教のようにカルト化し、テロを引き起こす集団が生まれた。それをよく承知している今の中国政府が宗教に対して最も警戒していることのひとつが、宗教集団のテロ組織化、武装化だろう。

 「宗教の中国化」の名のもとに宗教を共産党の管理下に置くこと、抑圧一本槍ではなく信仰の条件付き「自由」化を進める宗教の「改革開放」は、テロ対策としても避けられない課題となっている。