専業ババ奮闘記その2 虫捕り③

 大型連休に入った。学生時代にはめったに帰省しなかった長男が、就職してからは連休と盆に帰ってくるようになった。けれども、新型コロナ拡大による緊急事態宣言下、今年は無理だ。転勤したばかりの小田原で、元気にやっているか心配していたところ、珍しく向こうから電話してきた。会社の事務所として登録している二階建ての一軒家で、富士山を眺めていると話す口調は明るい。それから、近頃読破したドストエフスキーの「罪と罰」について話し出した。我が息子ながら、やはり不思議な人物だ。読書と言えば、我が子の中で、文庫本を取って読むのは長男だけだ。長女は文字よりも宙を行き交う言葉で、しゃべり出したら止まらない。二男ほど読み聞かせをした子はないのに、それが裏目に出た。本というのは、人に読んでもらうものという観念が定着してしまった。その点、虫好きだった長男は年長時から虫の図鑑を開き、「これは」「これは」と一つひとつ聞きまくり、ひらがなとカタカナを同時に覚えた。小学生になると、虫の図鑑だけでなく、ファーブル昆虫記などを一人で読むようになった。

 さて、その長男に何となく雰囲気が似ている寛大、買ってもらったピカピカの自転車を、玉湯に行った際に見せてくれた。近くの公園まで散歩するのに、寛大は自転車にまたがって乗る練習をする。寛大も、長男と同様、動きが俊敏ではない。のっそりのっそりこいでいる。いや、ペダルを上にして脚を降ろして少し進み、反対のペダルを上にしてまた少し進むといった具合だ。公園に着き、狭い広場を二周してすっかりくたばってしまった。長男が一年生の時のこと。朝、布団から出てこない。起き上がれないという。川崎病の疑いで入院した際のことが思い出され、すぐに病院に連れて行くと、坐骨神経痛と診断された。その頃、体育は縄跳び。跳ぶ様子を見ていると、縄が足元に来てジャンプして越す際、かなり力んでいた。妙な力の掛け方で跳び続けているうちに腰の神経を痛めてしまったようだ。

 帰り道、蝶が飛んでくると、「ババ、自転車押して帰って」と言って蝶を追いかける寛大。自転車に乗れるようになるのはいつのことだろう。