ニュース日記 779 憲法9条で米中対立を超える

30代フリーター やあ、ジイさん。安保でアメリカと結びつき、経済で中国と結びつく日本は、対立する米中に揺さぶられ、「対応を誤れば、企業どころか国全体が米中双方の供給網から外されかねない」という甘利明(自民党・新国際秩序創造戦略本部座長)の指摘を朝日新聞が紹介していた(3月28日朝刊)。

年金生活者 理念を持たないまま、くっつくか離れるかといったことに囚われた日本外交の危うさがあらわになってきた。こんなときこそ憲法9条の理念を盾に、両国に対立を解くよう交渉しなければならない。

米中が真正面から対立している現在、どっちにつくか、どっちから離れるかといったことを軸に考える限り、日本は「あちら立てればこちらが立たぬ」解決不能の状態に陥る。判断の前提となっている米中対立という現実を少しずつでも変えていくしか道はない。

日本政府は憲法9条の非戦・非武装の理念を真正面に掲げ、米中双方に対して「あなた方もこの理念にしたがって、軍事的、経済的な対立を解くべきだ。それがあなた方、そしてわが国がそろって利益を得る道だ」と訴え続けることが必要だ。

 両国とも最初は聞く耳を持たないだろう。だが、確固とした理念を表明し続けることは、大国の間で右往左往するよりはナメられないで済む。一目置かれ、やがて耳を傾けられるようになるには、ブレずに執拗に訴え続けることだ。

30代 アメリカと組んで中国に対抗するしかないと考えるのが現在の多数派だろう。

年金 アメリカと同一歩調を取るということは、米中両国が繰り出す輸出入規制の打撃を受け続けることを意味する。米中対立が長期にわたると予想されている現在、それは日本経済が細っていく道を選ぶことにほかならない。

日本はいま、両国からそれぞれ「向こうに肩入れすれば、どんなことになるかわかってるだろうな」と脅されているような状態にある。それは同時に、ふたりから言い寄られているような状態でもある。求婚者たちに難題を出したかぐや姫のように、両国にあれこれ注文をつけることができるはずだ。

 そんなことをすれば、摩擦が生まれるだけで、とりわけアメリカとの関係が悪化して大変なことになる、といった批判があるに違いない。だが、それをしなければ、もっと大変なこと、すなわち「企業どころか国全体が米中双方の供給網から外されかねない」事態が待っている。

30代 わかっていても変えられないのがわが政府の伝統だ。

年金 米中両国に対立の解除を迫る交渉を進めるには、アメリカ一辺倒の従来の考え方に囚われない新たな発想が必要だ。そのもとになるのが憲法9条の理念にほかならない。相手に翻弄されることなく交渉するには、小手先の技術ではなく、そうした確固とした理念が必須となる。

 かつて自民党の保守本流が担った歴代の政権が軽武装、経済優先を掲げて高度経済成長を推進できたのは、憲法9条を盾にアメリカにある程度ノーと言える外交を進めたからにほかならない。そうした構えから次第に遠ざかってきたのがその後の日本外交であり、その限界がいま米中対立の中であらわになりつつある。

30代 アメリカのインド太平洋軍司令官が上院軍事委員会の公聴会で、今後6年以内に中国が台湾に侵攻する可能性があると証言したと報じられている(AFP、3月10日)。それが現実になれば9条の盾も役に立たない。

年金 その予測は外れる可能性が高い。世界の戦争の本流が破壊と流血をともなう熱い戦争、リアルな戦争から、抑止力を競い合う冷たい戦争、バーチャルな戦争に移った現在、そうした世界史の流れに抗することは中国にとって失うものが大き過ぎるからだ。

 小原凡司という現代中国政治の研究者で笹川平和財団上席研究員が次のような指摘をしている。「最近『冷武統』という言葉を目にするようになりました。現実に軍事力を使って台湾に侵攻するのではなく、台湾に軍事的な圧力をかけて交渉のテーブルに着かせ、脅しをかけて『1つの中国』を認めさせる」(日経ビジネス、2月17日)。

 「冷武統」の「冷」は「冷戦」の「冷」であり、中国は台湾統一を熱い戦争、リアルな戦争ではなく、冷たい戦争、バーチャルな戦争によって成し遂げることを有力な選択肢としていることを示している。

 ソ連がいちばん国力の大きさを見せつけたのは、世界初の人工衛星を打ち上げ、さらに初めての有人宇宙飛行に成功した1960年前後だろう。核戦争寸前まで行ったとされるキューバ危機はその直後の1962年に起きた。米ソの緊張はこのときピークに達した。それは同時に緩和への歩みの始まりでもあった。

 ITやAIで世界をリードしつつある今の中国を見ていると、宇宙開発でアメリカを凌駕した時代のソ連を思い起こさせる。中国のこの勢いが米中関係を緊張させ、台湾有事への懸念に結びついている。だが、冷たい戦争とはいえ今よりはハードな性格を帯びていた東西冷戦時代でさえ、危機が頂点に達したあとは緊張が緩和に向かったことを考えれば、台湾有事が現実化するのを想定するのは難しい。