ニュース日記 777 緊急事態宣言の「心地よさ」

30代フリーター やあ、ジイさん。「首相が急転換」の見出しで朝日新聞が首都圏の緊急事態宣言の再延長を報じていた。解除に前向きだったのに、知事や医師会、専門家などの慎重意見を前に方針を変えた、と(3月4日朝刊)。

年金生活者 政権の方針をふらつかせている最大の要因は、新型コロウイルスに今なお「未知」の部分が多いことにある。

 「未知」の事態に対処するには、それまで「未知」だった新たな方法をつくり出す必要がある。「既知」の方法が無効である以上、それは今ある現実の中に求めることはできない。だからといって、無からそれを生み出すこともできない。

 だとしたら、現実には存在しないが、その外に存在する何かをもとに編み出すほかない。その「何か」こそが「理念」と呼ばれているものだ。「理念」は現実の存在ではないが、無ではない。

 発足当初から「理念」がないと批判されてきた菅政権は「未知」のウイルスに対処するのには適していない政権ということができる。ただし、「理念」ならなんでもいいというわけではない。安倍政権には「理念」があったが、コロナに追い詰められて倒れた。安倍晋三の「理念」は彼が「美しい国」と名づけた大日本帝国の現在バージョンであり、「未知」には無効の「既知」の理念でしかなかった。

30代 どんな理念が「未知」に有効なんだ

年金 典型例としてあるのは日本国憲法9条の非戦・非武装の理念だ。敗戦という、近代の日本人にとって「未知」の事態を前にして、この「理念」は報復とか再戦といった「既知」の方法ではなく、戦いの放棄と武装解除という「未知」の方法を日本国政府と日本国民に指し示した。

 それは敗北の屈辱を非戦の栄光に転化することによって、一敗地に塗れた日本国民に生きるよすが与え、歴代首相らがことあるごとに自慢してきた「わが国の平和と繁栄」を築く原動力となった。さらにそれだけにととまらず、今世紀に入って核兵器禁止条約という憲法9条の核兵器版を生むに至った。

30代 それに匹敵するような「理念」を人類は新型コロナに対してもつくり出すことができるだろうか。

年金 いま考えられるのは9条の「理念」を新型感染症への対処に応用することだ。非戦とは国家を開くことでもある。世界の諸国家が自らを開いて情報やヒトやモノやカネを融通しあうことがパンデミックへの対処には必須であることを世界はコロナ禍で思い知らされた。

30代 読売新聞の世論調査(3月5~7日実施)では、首都圏の緊急事態宣言を2週間延長したことを「評価する」が78%にのぼっている。

年金 延長が決まる前の日本経済新聞の世論調査(2月26~28日実施)で「再延長」を求める回答が8割を超えたとき、同社の編集委員・論説委員の矢野寿彦は「宣言下の現状を『心地よい』と思っている人が意外と多いのかもしれません」とコメントし、そう考える理由を「海外のロックダウンと違い昼間は自由に行動できて普段通りの生活が送れる、旅行や夜の会食を我慢すれば済む、株価は絶好調で経済への不安も減った、といったところでしょう」と説明している。そして「宣言のしわ寄せが一部の人にだけいっている証ともいえます」と付け加えている。

30代 しわ寄せが行っているおもな先は飲食業界と旅行業界だ。廃業や失業など深刻な打撃を受けている。

年金 それは国民全体から見れば一部であり、多くの国民はそれらの利用を我慢させられる程度の影響しか受けていない。業界の受けているダメージを気の毒には思っていても、やっぱり不安だから宣言延長を支持する方に傾いてしまう。

 ただし、国民の多くは感染の危険がわが身やわが家やわが職場に差し迫っているとは感じていないはずだ。毎シーズンのインフルエンザの患者数にくらべるとコロナの感染者はずっと少ない。自分や周りの人たちの感染を経験している国民は、全体からみれば少数のはずだ。緊急事態宣言への支持も何がなんでもといった切実なものではなく、よくわかっていないウイルスだから万が一に備えて、といった程度の強さと推察される。

 これにもうひとつ推察を加えるなら、リモートワークで通勤ラッシュ地獄を免れたり、職場で上司や同僚と接するストレスから解放されたり、ソーシャルディスタンスの呼びかけで買い物の最中に他人の身体と接触する不快さがなくなったり、行きたくない会食の誘いをことわりやすくなったり、新幹線が空いていて乗りやすかったり、道路の渋滞が減ってイライラしなくなったり……と、わりと快適に感じることも増えていることも、宣言を支持するひそかな理由になっていると考えられる。

30代 「自粛」が解かれることは当分なさそうだ。

年金 いま言ったような国民の隠れた本音が世論調査結果を左右し、政府のコロナ対策や経済の変化の方向を決めていくと予想される。緊急事態宣言は解除されても、国民や事業者の「自粛」を求める政策は今後も続くだろう。そして経済では「自粛」に対応した業態や業種の転換、制約を逆手に取ったイノベーションなどが相次ぐだろう。