がらがら橋日記 最後の給料

給与の明細票は、支給日の前日か数日前に配られる。ぼくが教員になったころは、現金支給だったので、明細票は給料袋に糊付けしてあった。それに対する識字能力など無いに等しく、また中身に対してもそんなものかと思うくらいで、菓子箱にそのまま入れて、管理などとはほど遠いぞんざいな扱いをした。

 六畳一間の住宅費などたかが知れていた。食費にしてもどうかすると給食の残りをもらって帰って済ましていたので、いったい何にいくらかかっているのかなどまったくもって関心がなかった。

 菓子箱はしばらくするといっぱいになるので、定期的に処分したが、念のために袋の中身を調べると、一万円札が出てきたりして、捨てる前に確かめておいてよかった、と儲かった気分になったりした。

 結婚してからは、お金のことはすべて妻に任せっきりで、ぼくはやっぱり無関心のままだった。給料が銀行振り込みになったらますます拍車がかかり、金とは必要なときに妻から受け取り財布に入れるそれがすべてで、あとは霞の中だった。

 ただ、子どもの頃から、公務員の給料など最低限の保障しかされていないと母にしつこく聞かされ、贅沢を許すような余裕は一切ないのだと刷り込まれていたおかげで、散財とか浪費の類いには近寄らなかった。その分、おもしろいことから遠ざかったかも知れないのだが、それはそれで仕方がない。

「最後の給料ですね。」

 事務員さんが明細票の入ったクリアファイルをぼくに手渡すとき、そう言って微笑んだ。いつも通りではない渡し方に気遣いが感じられた。ここは素直に「どうもありがとう。お世話になりました」と言えばいいところだったが、「最後だからサービスが…ないか、やっぱり。」などとつまらぬ冗談で返してしまった。

 五十を過ぎたあたり、善意を装ったセールストークに乗せられそうになったことをきっかけに、妻が「どうしたこと?」と不思議がるほど、お金のことを調べ上げるようになった。内外の経済にも関心が向いて、それまで別世界だった新聞のページや本屋の書棚もよく見るようになった。それまで無関心で来られたのはあきれるほど幸福だったのだということ、それは決して褒められたものじゃないってことも思うようになった。同窓会で中学校の恩師が少し悔いるような調子で「金の話など汚らわしいと思っていた」と語っていた。教員という仕事、どこか道学先生気分を背負い込んでしまうものらしい。遅きに失した気はするが最後の給料明細を手にするまでにそれに気づけただけでもよかったということにしよう。