がらがら橋日記 四月になれば彼女は
四月になれば彼女は。サイモン&ガーファンクルの美しい曲だ。中学生のころ、レコードで何度も何度も聞いた。ずっとラブソングだとばかり思っていたが。
なぜ、この曲が浮かび、また聞いてみたくなったかといえば実に単純で、
「四月からは何をされるのか決まっていますか。」
と電話で尋ねられたからである。
退職まで一月あまりとなったら、誰彼に聞かれるのも仕方のないことで、さして面倒とも思わないのだが、どう答えたにしても言葉を発した後味が妙にざらつくのに閉口する。
「隠居します。」
そう答えたら、パッと青空が広がるかと思えていたのはいつ頃までだったか。何だろうこのスカッとしない天気は。
電話の主は、教育委員会の人事担当者で、ぼくのことをよく知ってるのだと、あれこれと話題を振ってきた。あいにく、名乗られたときに聞き取れず、あいまいに合わせてしまったので、知り合いであることにして話を続けなければならなくなった。
「講師が足りなくてほとほと困っています。ぜひともやっていただけませんか。」
教育委員会からというだけで、そういう話だろうとは察していたが、ついにおいでなすったか。教員不足の深刻さは周知の事実で、四月に欠員を抱えたままスタートするなどという異常事態がこのままだと常態化しかねないところにまで至っている。言葉そのままに信じたものかはわからないが、人集めの苦労は並大抵ではないだろう。気の毒に、と思ってしまうところからこちらの切っ先は鈍る。
「ご苦労は十分にわかるのですが、とても…。」
「そうおっしゃられずに、一つ考え直してもらえませんか。」
「いやあ…。」
はっきりしない自分の応答に自分がいらつく。
「もう次が決まっているのですね?」
隠居だと言ったはずだが。それは決めていることにならないのか。歯切れが悪いばっかりに追い詰められてしまった。
「はい、決まっています。」
そう言うと、残念だの、気が変わったらだの言いつつ、どうやら引き下がってくれた。苦いものが残る。
四月になればやってくる彼女は、迷いの六月を経て七月に飛び去り、八月に死んでいく。そして九月、私は思い出す。すべては移ろい過ぎていくことを。