がらがら橋日記 講演
話を聞かせてください、と言われて、初めに思ったのは、どうにかして断れないものか、だった。学校の職員対象で、テーマはほとんどお任せに近い。何度か断ったのだが、企画した教員も譲らない。いくらか押し問答をし、少しばかり条件を付けて引き受けた。その途端にうんと気が重くなった。いつもこうだ。これ以上断って雰囲気が悪くなるよりは、と思ってしまうのだ。
退職前に職員の前で話をする、というのは学校という社会ではままある話で、ぼくもこれまで少なからず先輩たちのお話を拝聴してきた。今回の要請も、それにのっとったもので、気を遣ってくれたのだと思う。今や学生が敬遠するほど忙しい職場と化してしまっているのに、自分の話を聞くのに時間を費やしてもらうなんて気が引けて仕方がない。ならば何と言われようとすっぱり断ればいいものを、そういう対峙の仕方をまったくもって鍛えてこなかったのだ、これまで。
三十から四十過ぎのころ、職務上の要請もあって講演をする機会がかなりあった。まず、話を組み立て、キーワードをノートに並べてみる。それだけで話すときもあるが、慎重にいきたいときは、原稿を作る。問題はそこから先で、原稿を暗記しようとするのだが、これがうまくいったためしがない。覚える根気が続かないのを一として、二には、読むたびに言葉が別の記憶や考えを誘ってまったく鎮まらない。三に、原稿通りでは読むことと変わらず、話すとはそもそもその場限りのライブだろう、という思いが暗記を妨害してくる。直前までその調子なので、ついに「ええいままよ、なるようになる」と諦めるに至り、話し終わった途端に、何度同じ失敗を繰り返すのかと我が身を呪うのだ。自分で書いたものだから覚えられそうなものだが、暗記仕切れていない原稿をしゃべった後は、必ずどこか抜けている。そして原稿にないものが入る。たいていは、これを抜いては話がわからないだろう、と思えるものが抜けていて、聞き手への罪悪感が募っていく。
一度、手痛い失敗をした。話し終わってから、もう二度と講演は引き受けまいと思った。ほとぼりが冷めた頃に、さらに痛い失敗をした。ほんとにこりごりだと思った。今回引き受けてしまったについては、失敗から学びきれていない優柔不断さゆえだが、もうここまでくると、そのまま晒して後は聞き手の皆さんに委ねるほかない。
先日、講演を終えた。やっぱり抜いてはいけないところを抜いてしまった。死ななきゃ直らない類いだなと思った。