専業ババ奮闘記その2 出産③

 娘の第3子は、予定日であった夫の誕生日ではなく、私の母の誕生日と同じ1月14日に生まれた。「大きい祖母ちゃん(私の母のこと)と同じか」娘がぽつりと言う。紐落としの着物姿を見せに行った時、病院のベッドの上で「まあ可愛い」と涙ぐんでいた母が、娘の目に映った最後の姿だった。生まれてから約2年、松江の家に帰るまで、ずっとそばに寄り添ってくれていた大きい祖母ちゃんが大好きだった娘には、第3子が同じ日に生まれたことが、偶然ではない気がしたのだろうか。

 かくして、我が家の食卓は六人になった。子どもたちが次々に家を出てから、5人、4人、一時期は3人まで減ったこともあった。それでも6人の時代が長かったので、テーブル席が埋まると懐かしい。けれども、日々続くとなれば、背中に重いものを感じる。

 その夜、早速思い知ることになる。何とか夕食を終え、夫が子どもたちを風呂に入れると、寛大、実歩と順に上がってくるほかほかの体を拭いて保湿のクリームを塗り、ドライヤーで髪を乾かし、服を着せる。風呂から上がった夫に二人の歯磨きを頼み、義母の部屋へ。すでに湯たんぽは入れてある。電気毛布のスイッチを入れ、エアコンにタイマーをかける。トイレに連れて行ったあと、「痛い」を連発する義母を着替えさせ、ベッドに寝かせる。

 あとは、寛大と実歩に専念だ。トイレに行かせた後、二階に連れて上がる。休みの日にうちに来た時、昼寝の前にいつもするように、一冊ずつ絵本を読んでやり、絵本が終わるとお話をしてやる。桃太郎、浦島太郎、一寸法師。大概二つ目の話の途中で二人とも眠る。これでほっと一息だ。娘の部屋にセットした炬燵に入って、焼酎の湯割りを一杯味わいながら飲む。作夜中からバタバタ続きの一日を振り返る。そうか、あまり眠っていないのだった。アルコールはたちまち効いてきて、瞼がくっつきそうになる。部屋に戻って実歩の隣に入る。すぐに眠りに落ちた。が、すこやかな眠りは長くは続かなかった。まず、実歩が枕の上まで上がっている。布団の中に戻し、次に目を開けると、寛大が掛け布団の上で反対向きになっていた。体を抱えて元に戻す。重い。これを何度繰り返しただろう。