ニュース日記 768 コロナは「医療権力」の姿をあらわにした

30代フリーター やあ、ジイさん。政府が新型コロナウイルスに対応する2度目の緊急事態宣言を1都3県に出した。「医療崩壊」を懸念する知事らに押し切られたと報じられている。

年金生活者 日本の病床数は世界一(人口あたり)、感染者数・死者数は欧米の約50分の1(同)なのに、なぜ「医療崩壊」の危機と言われるのか。医師・医療経済ジャーナリストの森田洋之はそう問い、医療システムの「圧倒的な機動性の低さ」にその理由があると指摘する(「『医療崩壊』を叫ぶほどに見えなくなる『日本医療の根本の問題』」、12月9日アゴラ)。

 「機動性」とは、感染の拡大に応じて臨機応変に専用の病床やスタッフを増やしたり、地域を超えてそれらを融通し合ったりできる対応力を指す。欧米ではそれができるから、日本の50倍の感染者が出ても、「医療崩壊」しないで済んでいる、と森田は言う。

 日本で同じことができないのは「病院の8割が民間で、基本的にお互いがライバルであること、そして国の指揮命令系統が及びにくいということが大きく影響している」と言うのが森田の見方だ。

30代 今の日本の政府は医療界を基本的なところでコントロールできない状態にあるということか。

年金 それはグローバル化の進展とともに市場のコントロールに手こずるようになった世界の諸国家の姿と相似形をなしている。権力という観点から見るなら、「医療権力」とも呼ぶべき、新たに成長した権力が、既存の「政治権力」を脅かしていると考えることができる。「医療権力」はおのれの存続を維持するために、なによりも「医療崩壊」の阻止を最優先させる。そのやり方は「崩壊」しない医療システムに改めることではなく、現状を維持したまま国民の行動を制限することだ。それが大規模な経済停滞を招き、倒産、失業、自殺を誘発しているのが今の日本だ。

 三上治はコロナによって退陣に追い込まれた安倍晋三について「新型コロナウイルスは各国の政治指導者にどう対応するかの試練を課したのであるが、安倍は『身体が動かない』という反応になった」と書いている(「『人生わずか五十年、夢幻のごとくなり』というけれど」、『流砂』19号)。これは、感染症という「医療権力」の仕切る領分に政権がほとんど手を出せなかったということでもある。

 縦割り行政や前例主義の打破を掲げる菅政権とって、医療システムの「機動性」を妨げる「縦割り」と、「前例」を守り続ける「医療権力」は、メスを入れるべき対象となるはずだが、手をつけることができないでいる。

30代 なぜ医療の力がここまで大きくなったんだ。

年金 昔なら王侯貴族だけが求めた不老長寿を一般の国民が求めるようなったからだ。その背景には資本主義の高度化が加速する富の稀少性の縮減がある。選択的消費が必需的消費を上回り、国民は医療にカネを使う余力を手にした。それだけ医療に対する期待が高まり、自然法則によって決まる人の寿命を医療がコントロールできるかのような観念が生まれた。

 国家は富を再分配して経済を循環させることを使命のひとつとしている。経済の停滞を招くことはおのれの存在理由を自ら否定するに等しい。それを「医療権力」に強いられて、不本意ながらやったのが非常事態宣言だ。

30代 三上の言葉を借りれば菅政権も「身体が動かない」状態にある。

年金 政権の主体性を削ぐ力は3つある。ひとつは「医療権力」であり、コロナに関しては政府の分科会や医師会に代表される。もうひとつは市場であり、経済団体などに代表されるそれは「市場権力」と名づけることができる。そして3つ目は霞が関の官僚組織であり、これは「官僚権力」と言っていい。いずれも政権の持つ「政治権力」に対抗できる力を持っている。

 菅政権はコロナをめぐってこの3つの権力に圧迫され、思い通りに振る舞えない状態にある。3つの中で最も優位に立っているのが「医療権力」だ。これに押され続けてきた政権が唯一公然と抵抗の意思を示していたのが「Go Toトラベル」にほかならない。そこには「市場権力」からの圧力が働いていた。だが、感染拡大とともにいっそう優位性を増した「医療権力」に逆らい続けることはできなかった。

 「医療崩壊」を阻むには現在の医療システムの改変が避けられない。だが、それによって自らの力を削がれることを恐れる「医療権力」は進んで改変しようとはしない。それができるのは「政治権力」だ。だが、そのために法律をつくったり、変えたりすることに、「官僚権力」、とりわけ既得権を守りたい厚生労働省が進んで協力しようとすることはないだろう。

 安倍・菅政権は政治主導の名のもとに霞が関の幹部人事を一手に握る内閣人事局を新設し、高級官僚を人事で脅して言うことを聞かせてきた。だが、医療システムの改変という規模の大きな事業となると、組織全体を動かす必要があり、それは人事の脅しだけではできない。改変のビジョンを組織全体に共有させる必要がある。だが、ビジョンを描くのは菅政権の最も不得手とすることのひとつだ。