がらがら橋日記 最後のボーナス

 来週には、2学期が終わり、その翌週には、2020年が終わる。夏休みは、行事や研修がほとんど無秩序と言っていいほど入り込んでくるので、休みとは言え暑さも手伝ってそれほど開放された気分にならないが、冬休み前は静かに閉じていく感じがうれしい。学校で教わっていたときも、教えるようになってからもそれは変わらない。

 担任教師たちは、学期末のあれこれに気ぜわしい。授業の合間に成績を付け、面談の準備をし、アクシデントで狂った予定の調整に走る。でも、それも区切りを迎えるための通過点のようなもの、師走の風物詩だ。

「この状況で、甘いんじゃないの。子どもが感染したらどうすんの。責任取るの?」

 朝からクレームの電話。自分のイライラをだれかのせいにしないと気が済まないらしい。「ほほう、あなたご自分が感染されたら責任取られるのですか」などと返してやりたいところだが、退屈で不毛なやりとりは一刻も早く切り上げたい。適当な出口を探して電話を切る。これも日常の一コマに過ぎないのだが、受話器を通して侵入してきた声は、毒素を放ってしばらくまとわりつく。そばにいる職員には不愉快に付き合わせることになり申し訳ないのだが、話して解毒に努める。

 カウントダウンアプリを入れて、退職日を入力してみたのが夏。ここまで来るとアプリに頼らずとも暗算で浮かぶ。そんなものは意識したくないのだが、勝手に浮かんでくるのだから仕方ない。こんなクレームに付き合うのもあと○○日か…、という具合だ。

 途中の大きめのアクセントだったはずの最後のボーナスも通過してしまった。もっとうれしかったり寂しかったりするのかと思っていたが、それほどの感懐もおぼえぬまま過ぎた。これまで何百回と給料やボーナスを受け取っているというに、記憶を追ってみると、一気に初めての給料にたどり着く。修学旅行から帰ってバスから降りたときに事務さんから受け取った現金入りの給料袋、いつが給料日かさえ知らなかったからびっくりした。表に貼られた明細を見て、「こんなにもらえるのか」と感動した。アルバイトとの比較しかできないのだから高額に見えたのである。ほかの記憶はないものかと今一度さらってみるが一切なし。罰当たりなことである。

 結局、最も心動くのは最初だけなのであって、最後なんて慣れきったなれの果て。あと百日足らず、果てを拾い続けるってことか。これは、四月、何としても最初を経験せねば。