専業ババ奮闘記その2 産前休暇②

 大きなお腹を抱えた娘が、寛大と実歩を連れて武道館に見学にきたのは、産休に入って間もなくのことだった。寛大と実歩が「ババが合気道するの、見たい」と前から言っていたらしい。産休に入り、時間にゆとりができたから、やっと来る気になったようだ。

 道着をつけ、稽古が始まる前に準備体操をしていると、防寒着でさらに太くなった娘が、やはり着膨れた寛大と実歩と手をつないで道場に現れた。先生のそばにやってきて、「お久しぶりです」娘が声を掛ける。「おお、三十年ぶりくらいかな」と先生。

「お母さん、合気道教えて。男の子に負けたくない」と、不謹慎な理由で娘が言い出したのは小学校三年生の時だ。就職して三年目くらいだったか、武道館で島根大学の合気道同好会が稽古をしているというので、幾度か稽古に参加したことがある。流派が違い、稽古しづらいこともあり、転勤を機に脚が遠のいてしまった。他の武道と同様、合気道にもいろいろな流派が派生している。私が学生時代に属していた部は本部道場系で、春合宿は毎年東京の本部道場で行っていた。娘と一緒に武道館に偵察に行ってみたところ、数人で稽古しているグループが、学生時代にしていたのと同様の稽古をしている。指導者らしい人に話を聞くと、本部道場で稽古をしていたとのこと。早速参加を申し込み、娘と一緒に週一回稽古にいくことになった。

 娘は結局一年続けただろうか。四年生になってバレー部に入り、疲れて帰るようになると、合気道の稽古までは難しくなった。その後は、小学生になった長男と一緒に稽古に通い、中学校に入って卓球部に入るとやはり付いてこなくなった。長男に付いて途中から加わった二男と二人で通ったが、これも部活に入ってから辞め、その後は一人で通い、長女に誘われ通い始めてから三十年経っている。

翌日娘から電話があり、寛大も実歩も、保育所の先生に、合気道を見に行った話をしたそうだ。でも、寛大は、「大きくなったら合気道する」とは言わず、隣でやっていた武道に惹かれたのか、「大きくなったら剣道をやる」と、言ったとのこと。