ニュース日記 762 民主主義の以前と以後

30代フリーター やあ、ジイさん。米大統領選でのバイデンの最大の勝因は、やはりトランプの新型コロナ対策の失敗か。

年金生活者 というよりも、この災厄が起きたこと自体の責任をトランプは取らされたと言ったほうがいい。アメリカ国民は大昔の「王殺し」を実行した。

 吉本隆明は「西欧的な〈王〉の概念では、〈王〉は人民により担ぎ上げられる存在であるとともに、ひき降される存在でもある」とし、「凶事が続発すれば、それは〈王〉に神をなだめるだけの〈威力〉がないためであり、〈王〉の存在が不吉であるためであるとされて、殺害されてしまう」と書いている(「天皇および天皇制について」)。

 トランプはコロナという「凶事」のゆえに、「存在が不吉」と過半の国民にみなされ、退場を求められたと考えることができる。近代の物差しでは「凶事」の発生そのものには責任がないにもかかわらずだ。

30代 アメリカに「大昔」はないぞ。

年金 トランプは自らが王として殺害される可能性を察知していたのかもしれない。だからこそ、「凶事」をできるだけ小さく見せようと楽観論を繰り返し、責任を中国に転嫁することに躍起になった。

 封じ込めようとすれば経済が停滞し、経済を動かそうとすれば感染が広がるコロナ危機は、どっちの対策に重点を置いても、トータルの被害、すなわち感染による直接の被害と経済停滞による間接の被害を合わせた被害は大きなものになる。だとしたら、「凶事」を大きく見せることになりかねない封じ込めをトランプが嫌ったのもうなずける。

30代 コロナがなかったら、彼は落選しなかったということか。

年金 恐らく。核をめぐる米朝の緊張を和らげ、人権抑圧を続ける中国への圧力を強化し、就任3年で雇用を700万人増やし、失業率3・5%という50年ぶりの低水準を達成した彼の功績は、多くのアメリカ国民に評価されていたはずだ。

 彼は自らが「この国の忘れられた人々」と呼ぶ国民に「次はあなた方がエスタブリッシュメントに代わって特別扱いされる番だ」という趣旨のメッセージを送り続けた。その最大の対象が、鉄鋼や自動車など衰退産業の立地するラストベルトの白人労働者たちだった。人は自分が特別扱いされたと感じるとき、その相手に返礼せずにはいられない。彼らは大統領選でトランプ陣営のエンジンとなった。コロナはそのエンジンにブレーキをかけた。

30代 開票所の前ではトランプ、バイデン両派がにらみ合い、今にもなぐり合いを始めそうな緊張状態が続き、民主主義の危機が指摘された。

年金 民主制はその表皮の裏に暴力を隠した不安定な制度であることがあらわになった。

 国家が誕生して以来、その権力を握るための争いは、豪族、貴族、武士といった、社会全体の中では少数者に属する勢力によってなされてきた。少数であるがゆえに、その争いでは暴力が最も有効な手段でありえた。

 この一部の少数者による権力争いを全員による権力争いにかえたのが民主制だ。従前に比べて争う相手があまりにも多いので、暴力で相手を抑えつけようとすると、負担と犠牲が大きすぎる。そのため、暴力の代わりに採られるようになった闘争手段が投票だ。民主制は暴力の代替として機能しており、その機能が不具合を起こすと、たちまち暴力が顔を出す危険が生じる。

 民主制がそうした不安定性を免れない最大の理由は代表制にある。代表と国民との間には大なり小なり必ず乖離が生まれる。それを避けたければ、民主制に代わる制度を求めるほかない。

30代 そんな制度をつくれるのか。

年金 考えられるのは「輪番制」だ。国民が持ち回りで行政を担う。レーニンは「社会主義のもとでは、すべての人が順番に統治するであろう。そして、だれも統治しない、ということにすみやかに慣れるであろう」と書いている(『国家と革命』宇高基輔訳)。輪番制は今どの国家にもないが、社会の諸組織にはいくらでもある。町内会のゴミ当番を吉本隆明は理想の国家のあり方のモデルと考えた。

 私の住むマンションの管理組合の理事も輪番制だ。そうしないと理事のなり手がいない。理事になっても、それによって手にできる権力は、強いられる負担にくらべてはるかに小さい。理事になることはいわばマイナスの権力を背負わされることを意味する。権力争いが生まれる余地はない。

 争いが始まるのは、権力によって富を手にすることができるからだ。つまり富を手にできないのは権力がないからということになる。理由は富の稀少性にある。富があり余るほどあれば、権力争いは不要となる。

 その状態に近いのがマンションだ。そこに居住することによって受ける全サービスをマンションの富のすべてと考えれば、その富は住人全員に等しく行き渡り、だれかが手にしそこねることはない。国家の制度に輪番制が導入されるときがあるとすれば、社会の富の稀少性が消滅したときだ。資本主義の高度化とテクノロジーの発達が加速する富の稀少性の縮減は、輪番制について語ることが必ずしも荒唐無稽なことではないことを裏づけている。