ニュース日記 761 実より名を取った大阪市民

30代フリーター やあ、ジイさん。大阪都構想が住民投票で否決された。

年金生活者 賛成票を投じた大阪市民のひとりとして残念に思う一方で、構想の説明の粗さに大阪維新の会の「おごり」を嗅ぎ取った民意の鋭さを感じないわけにはいかない。

 維新の会の「おごり」は2019年の大阪府知事・大阪市長ダブル選での圧勝のあとから始まったと思われる。同時に行われた府議会と大阪市議会の議員選挙でも議席を伸ばし、府議会では過半数を占めた。この数の力を背景に、維新は公明の現職議員がいる関西の衆院6選挙区に対抗馬を立てると同党を脅し、都構想賛成に回らせた。

30代 これで住民投票は勝てると踏んだんだろうな。

年金 その気のゆるみが今回あらわになった。朝日新聞は構想の旗振り役の大阪市長・大阪維新の会代表の松井一郎らを「オンラインを含めても住民説明会を前回より大幅に減らし、反対派の主張を『デマ』と決めつけた」と批判し、「説明を尽くさない姿勢が、失速を招いた」と指摘した(大阪社会部長・羽根和人、11月2日朝刊)。

 説明会を減らしたばかりか、反対派の主張を「デマ」と決めつけたのは、自党や役所の都合を優先したうえに、自分たちの視線を住民よりも他党の方に向けていたことを示している。なめられているのではないかと感じた住民も少なくないはずだ。

30代 維新の創業者の橋下徹が自認するように、橋下も松井ももともとガラが悪いからな。

年金 政党や政権や役所から軽んじられることは、今の時代の人びとが最も嫌う政治的な振る舞いのひとつだ。それをよく知る大阪維新の会は、「民意」を第一にすることを基本姿勢とすることで有権者の支持を広げてきた。それはだれにでもいい顔をすることではなく、多数派の「民意」に従うことを意味した。だから、多数決原理に常に忠実であり、そのため、必ず反対派との対決を招いた。対決すること、戦うことは、相手を見下さないことでもある。維新は上から目線になることをそれによってあたう限り免れてきた。

 大阪市を廃止して特別区に4分割する大阪都構想は、住民に最も身近な行政を、大きな権限を持つ政令指定都市から、他の市町村並みの権限しか持たない自治体に置き換えることを意味する。特別区の権力は今の大阪市より弱くなるので、そのぶん職員たちは住民に対して上から目線にならないで済む。それは「民意」第一の維新の基本姿勢にかなうものであり、私が都構想に賛成した理由もそこにある。

 維新のそうした住民に対する「腰の低さ」を評価してきた大阪市民は今回の住民投票で同党の見せた説明の粗さに、維新らしくない上から目線を感じたのではないか。

30代 奇策のダブル選を仕掛け、公明党を脅したことも市民に不信を抱かせたのではないか。

年金 私はそうした奇策や脅しを必ずしも悪いこととは考えない。だが、それらはあくまでも都構想実現のための手段であって、それ自体が住民に利益をもたらすものではない。それにかまけ過ぎると、住民は自分たちが軽く見られていると感じる。だから、それを埋め合わせるために、維新は前回に倍するほどの丁寧な説明をしなければならなかったはずだ。

 連日、街路に立って都構想反対を熱く語った山本太郎のような、重心を低くした運動を維新が続けていれば、投票結果は変わっていたかもしれない。大阪府知事・大阪維新の会代表代行の吉村洋文は「反対派の思い、熱量が強かったんだと思います」と、敗北後の記者会見で語った。それは維新がおごりを最後まで乗り超えられなかったことを意味する。

30代 反対多数になった理由はそれだけか。

年金 反対票を投じた市民に最も広く共有されていたのは、大阪市が廃止されることへの恐れだったと推察される。賛成・反対両派が主張する都構想のメリット、デメリットは、専門家でも確かめるのが難しい。だが、構想によって大阪市がなくなることだけは確実であり、その耐えがたさが反対票を増やした最大の要因と考えることができる。

30代 大阪市がなくなっても、その日から大阪の街がなくなるわけでもなければ、行政サービスがストップするわけでもない。

年金 大阪市の廃止とは現実の「大阪」がなくなることではなく、「大阪市」という名前がなくなることだ。だが、人の心には名前の消滅が現実の消滅に劣らずこたえることがある。大阪市の名がなくなることは、住民にとって「大阪市民」という一種の「肩書」を剥奪されることを意味する。この肩書は伝統と先進性を備えた大都市の一員であることを示すものであり、住民にとっては自尊心の支えになっている。他の市町村に対してひそかに優越感を抱くこともできる。「北区民」や「中央区民」ではそれができない。

 投票結果を伝える朝日新聞は、「反対派の主張も具体性に乏しく力が弱いと感じ」ながら「大阪市が消えてなくなることは許せない」と反対票を投じた城東区の主婦(76)の話を紹介していた(11月2日朝刊)。それは、実より「大阪市」という名を取ることを選んだ多くの市民の気持ちを表している。