ニュース日記 760 学者の戦い方
30代フリーター やあ、ジイさん。日本学術会議が自分たちの推薦した会員候補の任命を総理大臣に拒否され、それに異議を唱えたら、そっちにも問題があるからと組織のあり方の見直しを約束させられた経緯は、レイプの被害者が、そっちにも落ち度があるじゃないかなどと言われて、さらにダメージを受けるセカンドレイプに似ている。
年金生活者 朝日新聞は「井上信治・科学技術担当相が23日、学術会議が自ら政策提言などの課題を検証するよう要請し、梶田隆章会長が年内に報告することで合意した」と報じ、肝心の任命拒否の理由の説明と拒否の撤回に担当相は応じなかったと伝えている(10月24日朝刊)。けんかのプロのやくざのようなやり口によるこの返り討ちは、学術会議にとって屈辱的な体験として深いトラウマとなり、政権に抵抗する力を削がれた可能性がある。
飲食店などで苦情を言ったら、こっちの落ち度を指摘するような対応をされたことが一度ならずある私は、それを思い出すたびに痛みと屈辱を覚える。その経験を延長して学術会議の屈辱を想像すると、菅政権の手ごわさをあらためて感じる。モリカケやサクラで逃げまくっていた安倍政権はそのぶんまだ可愛げがあったが、逆襲に出て来た菅政権にはそれがまったくない。
30代 学術会議の会員の任命を拒否された6人は外国特派員協会でそろって意見を表明したと報じられている(10月24日朝日新聞朝刊)。このうち5人は任命を拒否した政権を批判しているのに対し、宇野重規だけは「内閣によって会員に任命されなかったことについては、特に申し上げることはありません」と言っている。「日和(ひよ)っている」と受け取った左翼もいるんじゃないか。
年金 宇野は文書で寄せた見解の中で、会員に推薦されたことを感謝し、「これ以上の名誉はありません」と述べている。自分の学問に対する評価は学問の専門家だけがなし得る。それは総理大臣にはできないことだ。だからこそ任命は「形式的」(1983年の中曽根康弘の国会答弁)であり、そんなことについて当事者としていちいち言うことなどない。彼はそう考えているように受け取れる。
「これまでと同様、自らの学問的信念に基づいて研究活動を続けていく」という彼の言葉は、「学術会議のメンバーに入らなくても学問はできるのだから学問の自由の侵害になるわけがない」という橋下徹の批判を退ける確固とした応答となっている。
宇野は少数派の存在なしに民主主義が成り立たないことにも触れている。選挙で多数派になったからといって、少数派を抑圧していいわけではない。少数派には多数派を批判する権利がある。そのことを彼は「民主的社会の最大の強みは、批判に開かれ、つねに自らを修正していく能力にあります」という言葉に込めているように見える。学術会議が政府を批判することも当然あり得ることを前提にしながら。
30代 宇野のそうした考えを認めるとしても、あとの5人が任命拒否を批判したのは当然のことだろう。
年金 5人と宇野の違いは、自分をどのポジションに置くか、その選択の違いから来ている。5人が学術会議という組織の中に自らを置いて発言しているのに対し、宇野は一研究者、一学者としてものを言っている。
総理大臣が任命を拒否した相手は、会員候補を推薦した学術会議であって、推薦された6人ではない。したがって、任命拒否を批判した5人はおのずと学術会議という組織の一員というポジションにわが身を置いたことになる(組織内での肩書の有無にかかわりなく)。
ただし、5人は組織の一員というだけでなく、任命されなかった当事者でもある。それが任命拒否に異議を唱えれば、自らの任命を政府に求めていることになる。それは学術会議が組織として任命拒否の撤回を求めるのとは性質が異なる。一研究者、一学者が自らの地位の保障を国家に求めることを意味するからだ。研究者、学者というのは組織によって与えられる属性ではなく、自らの研究の実践によって保持される属性だ。地位の保障を国家に求めれば、研究者、学者としての本来のあり方とは異なるあり方を目指すことになる。
30代 政府への抗議を広げるためには、それもやむを得ないんじゃないか。
年金 戦い方は自由だ。だが、任命されなかった者による任命の要求は「学問をするのにそんなに国家のお墨付きが欲しいのか」といった批判を許してしまうことを避けられない。そしてその批判は少なくない国民の共感を呼ぶはずだ。つけ加えておくと、学術会議そのものは学問をする主体ではないから、任命拒否の撤回を政府に要求しても、その種の批判は的外れでしかない。
宇野のとった態度は、そうした批判を許すような弱点をあたう限り払拭している。彼は政権の決定を批判していないが、だからといって、それを肯定しているわけではない。学者、研究者であり続けることに政府や国家の保障を求めることを拒否することを通して無言の抵抗をしている。それは学者としての本来のあり方に立脚した戦い方と言うことができる。