ニュース日記 759 「歴史の狡知」が生んだ大統領

30代フリーター やあ、ジイさん。トランプの中国敵視政策はどこまで続くんだ。

年金生活者 彼は安全保障の課題を、自分の得意なディール(取引)の課題に転化することで戦争のリスクを低減させた。それは国家間の関係をすべてディールにしてしまうことでもある。それが米中対立を引き起こした。

 国家間の関係がディールになるということは、国家が市場のプレイヤーのひとつになることを意味する。それは市場を外からコントロールする国家の機能が低下することでもある。資本のグローバル化がそれを不可避な流れにした。

 かつて市場の大部分は国家の中に存在した。今は逆に市場の中に国家が存在する。資本主義の高度化、グローバル化とともに、国家に対する市場の優位が広がった結果だ。

30代 金融危機やコロナ危機に襲われると、市場はたちまち国家の財政出動に頼らざるを得ないから、必ずしも国家に対して優位とは言えないんじゃないか。

年金 国家のカネはもともとは市場から集めた税金だ。市場は危機に備えて国家と保険契約を結び、その保険料として税を支払っているとみなすこともできる。

 トランプはそうした世界史的な変化を敏感に察知した国家のリーダーのひとりと言っていい。米中対立がどこへ向かうか予測するのは困難だが、少なくとも言えることは、トランプが対中関係をディールと考えている限り、両国が熱い戦争、リアルな戦争に行き着くことはないということだ。

30代 米中の対立を覇権争いと見る見方がある。

年金 その側面は否定できないとしても、主要な争いの場はかつてのような陸や海や空ではなくなり、市場に移ったところにその新しさがある。抑止力を競い合う冷たい戦争、バーチャルな戦争と平行して、市場を舞台にした、熱くはないがリアルな戦争が続くだろう。

30代 トランプは国内でも対立を引き起こしている。

年金 彼は対立の仲裁者ではなく、当事者になることによって、上から目線になる愚を免れ、支持を広げたとも言える。

 仲裁者、すなわちアメリカ社会の分断を統合する役割を任じようとすれば、分断された双方の上に立たざるを得ない。上から目線になることは避けられない。それは現在の有権者がもっとも嫌うことのひとつだ。

 それを察知していたと思われるトランプは4年前の大統領選でワシントンのエスタブリッシュメントを上から目線の権化のように攻撃する一方、衰退した製造業の白人労働者をワシントンから「忘れられた人たち」と呼んでその味方を自任し、民主党の地盤を掘り崩した。

 消費の過剰化によって国家から分散した権力を手にした諸個人はそれに相応する処遇を求めるようになり、上から目線の政治家や政党、政府を嫌う気持ちを強めていたのに、知的エリートが主導する民主党はそれに無頓着だった。

30代 天安門事件の学生リーダーだったウアルカイシというウイグル族の民主活動家が、中国の人権侵害に対するアメリカの圧力強化について「米国は明らかに、中国の反対で避けてきた行動の基準を変えた。人権問題で中国を包囲することは、自国に有利だと気付いたためだ」と朝日新聞で語っている(10月17日朝刊)。

年金 人権問題に関心の薄かったトランプは得意のディールの一環として中国に貿易戦争を仕掛けた結果、その戦術として人権外交を強める結果になった。

 彼は国内では白人至上主義者への批判を控えるなど、黒人差別に反対する運動に冷淡な態度をとり続けてきた。分断されたアメリカ国民の一方の側、とりわけ衰退産業の白人労働者の側に立つことによって大統領選を勝ち抜き、その後も高くはないものの底堅い支持率を維持してきたトランプにとって、人権問題は触れたくない内政の課題のひとつに違いない。

 それに対し、中国の人権問題は逆にディールに有利になる。トランプ政権はこれまで、ウイグル族への人権侵害を理由に中国政府の幹部らに制裁を科したり、国家安全維持法が施行された香港への優遇措置を廃止したりしている。その動機がなんであれ、人権抑圧に苦しむウイグル族や香港市民にとっては歓迎すべき措置となった。

 これは米国の非戦指向への転換と並んで、トランプの「ディール外交」が導き出した「成果」として評価することができる

30代 そのわりに大統領選でバイデンにリードを許している。

年金 トランプは常識破りの政治手法であげた功績が米国民の多くから評価された。今後はその常識破りの副作用が功績を上回る恐れがある、と有権者からみなされ始めているように見える。

 金正恩との握手は北朝鮮による核保有の事実上の容認という副作用を、中国との制裁合戦は自国経済へのダメージという副作用を、雇用の拡大は格差の拡大という副作用を生んだ。もしトランプが落選すれば、ヘーゲルの言う「理性の狡知」ならぬ「歴史の狡知」が彼を世界史の表舞台に押し上げ、その役目を果たさせたあと、退場させたと総括できるかもしれない。あるいは別の言い方をするなら、歴史は常に行き過ぎとその揺り戻しを原動力にジグザグにしか進まないと言うこともできる。