ニュース日記 745 インテリの習性

30代フリーター やあ、ジイさん。小沢一郎がこのあいだインターネットテレビの番組で次の総選挙の見通しを「(野党が)まとまれば圧勝します」と断言し、「合併新党」の構想を語っていた。

年金生活者 「ひとつにまとまる」ことの威力は、寄り合い所帯の民主党が2009年の総選挙で自民党を圧倒したことや、古くは保守合同で誕生した自民党が長期にわたって政権を担ってきたことが実証しており、それが小沢の発言にリアリティーを与えている。歴代最長となった安倍政権を事例のひとつに加えてもいい。派閥抗争が鳴りをひそめ、「安倍一強」と呼ばれるほど「ひとつにまとまった」自民党にとって野党は敵ではなくなった。民主党政権を瓦解させた党内抗争、分裂から教訓をくみ取った結果でもある。
 政党の内輪もめは国民がもっとも嫌うことのひとつだ。政治家たちがけんか相手にしか目を向けなくなり、国民のほうを見なくなるからだ。だから、逆のことが起これば、つまり対立していた政治家どうし、政党どうしがひとつの党にまとまれば、国民は自分たちのほうに政治家たちが目が向けてきたと感じるはずだ。

30代 「圧勝」は言い過ぎだろう。

年金 いまの日本国民は自分たちに敬意を払わない政治家や政党を嫌う。かつては敬意を払うのは国民の側とされていたが、現在はそれが逆転した。高度経済成長によって生活水準が向上し、国民はそれに相応する処遇を政治に求めるようになったからだ。小沢が「圧勝」という言葉を使ったのは、今の安倍政権が以前は持っていた(少なくとも持っているふりはしていた)国民への敬意を捨ててしまったと見ているからと推測できる。

30代 それでも野党の合併が進まないのはなぜだ。

年金 野党がインテリの集まりだからだ。インテリは知識の世界、つまり観念の世界を相手にすることをなりわいとしている。言い換えれば、自らの存在理由を観念の世界に持っている、あるいは自らのよりどころを観念の世界に置いている。
 だから、どうしても現実より観念を優先したがる。自民党のように、互いの考えの違いを棚上げして、現実の行動を共にすることがなかなかできない。生きるよすがとなっているおのれの考えを引っ込めるくらいなら、袂を分かつほうがましだと考えてしまう。
 こうした特性は「徒党好き」につながっている。考えの違う者を排除し、同じ者だけで集まろうとする。人を党派によって色分けし、色が違うと、いいところがあっても全否定する。この傾向が強まれば強まるほど、党派は小さく分かれていく。現実の側から見れば誤差の範囲に過ぎない違いも、観念の世界では重大な違いに見えるからだ。

30代 なぜ野党にはインテリが多いんだ。

年金 今の野党は左派・進歩派の政党だからだ。左派・進歩派は右派・保守派に比べると理想を重視する。理想は現実ではなく観念の領域に属する。日々そこに身を置くインテリが理想に重きを置きたがるのは必然といっていい。
 大多数の国民は現実に不満があっても、現実を根こそぎ変えること、理想を性急に実現することには不安を覚える。現状を守ることを基本とする右派・保守派の政党の強みがそこにある。
 それは左派・進歩派の政党の弱みであり、そこを補うには理想に近づくための現実的な手順を示す必要がある。それは未経験なことを考える作業であり、未知の部分を想像力によって埋めることを迫られる。どう想像するかは人によって違うから、手順の描き方も様々になる。左派・進歩政党が内部抗争や分裂に陥りやすい理由のひとつがそこにある。私たちはその極端なあらわれをかつての新左翼の内ゲバに見た。

30代 それなら、いっそ理想など持たないほうがいいということになるな。

年金 理想なしには前に進めないようにできているのが人間とその社会だ。自民党なら自主憲法制定がその理想に該当する。この党是があったから自民党は結束を保ってきたし、それを棚ざらしにしてきたから長期政権を維持できた。

30代 インテリは右派・保守派にもいるぞ。

年金 安倍晋三の失政に対して「首相は辞めろ」と迫るのが左派・進歩派のインテリだとしたら、「首相は改めろ」と要求するのが一般の国民であり、「首相は正しい」と言い張るのが右派・保守派のインテリと言うことができそうだ。
 安倍政権に対するインテリの評価が全否定か全肯定かという両極端の形を取るのは、さっきも言ったように彼らが徒党好き、つまり党派性に囚われやすい習性を持っているからだ。
党派ではなく生活を第一に考える一般の国民は、問題そのものの解決を欲するから、両極端にはふだん走らない。これに対して、インテリは中間的な態度を避けたがる。野党寄りのインテリは、とにかく政権交代を求めるようになる。
 だが、問題の解決を目指すなら、政権交代という党派の論理に沿った迂路を通るよりも、国民投票によるほうが国民の意思に忠実に従うことになるはずだ。その仕組みの実現を求める声は野党からも野党寄りのインテリからもほとんど聞こえてこない。党派の論理が壁になっている。