専業ババ奮闘記その2 インフルエンザ(4)

 ぽっかり抜けた時間も、病院通いが始まり出すと、また新たな生活リズムができていった。息子を送り出した後、家事をしたり、点訳をしたり。昼前から義母が入院する病院まで歩いて行き、義母は病院食、私は持参したおにぎりで一緒に昼食を摂る。お茶を汲んだり、入れ歯を洗ったり、座らせて外の景色を眺めながら話したりして二時間くらい過ごして帰る。そうして過ごすうち、ずっと続いていた微熱が下がりだし、欲しがらなかった食事も少しずつ摂れるようになっていった。
 幸いだったのは、ちょうどその頃、医療専門学校の生徒さんが実習に来ていて、そのうちの一人が義母の担当になったことだ。バンビちゃんと私が勝手に名付けた若い看護師の卵が、度々やってきては義母に声を掛けたり、検温や体拭きの体験をしたりして、義母の気を紛らせてくれた。そのうえ、指導教官が、義母の通うデイサービスの介護職員さんに雰囲気が似ていたのだ。顔を出される度に、「あら、Hさん」と言うので、「私はTですよ」とT教官は答えていたが、そのうち、「Hさんでいいですよ」と微笑まれるようになった。
 入院生活も一週間が経ち、食事も残す量が減り、家から持ってきた杖で少し歩けるようになってきた頃だ。「明日、帰るか」と言われる。「いや、いや、まだ先生から退院って言われませんよ」と答えると、顔を曇らせる。やはり、家がいいようだ。「ほら、あそこ、寛大たちがいる保育所、見えますか」と話を逸らせる。病室は南側に面していて、そこから寛大と実歩が通う保育所が見える。それから、周辺の建物の説明をいつものように繰り返す。「あそこが湖南中で、その手前が商業高校ですよ」
 その日、久々に寛大と実歩を迎えに行った。娘の家にも我が家にもインフルエンザの嵐が吹き荒れ、三週間近く、行き来をやめていたのだ。寛大、実歩が生まれて以来、これほど長く会わなかったのは初めてのことだ。