ニュース日記 1005 左派・リベラル派の前途

30代フリーター 高市早苗は施政方針演説で「世界を見渡せば、政府が一歩前に出て、官民が手を取り合って大規模かつ長期的な財政支出を伴う産業政策を展開している」と語った。産業政策で後れを取っている日本は、先を行くアメリカや中国に追いつかなければならないというかけ声だ。キャッチアップは昔から日本人が得意としてきたので、もしかしたら日本経済はかつての高度経済成長期のように上向きになるかもしれない。

年金生活者 「官民が手を取り合って大規模かつ長期的な財政支出を伴う産業政策を展開」することは、次の段階に向かおうとする資本主義の要請だ。その現実をいち早く受け入れ、次の段階の資本主義が必要とする新たなインフラを構築するために、AI・半導体、量子技術、航空・宇宙、バイオなど最先端分野の研究開発、投資を促す産業政策を世界の先頭を切って推し進めているのがアメリカと中国だ。

 これまでのグローバリゼーションの時代は、世界中からかき集められる安い労働力と、地球規模の競争が強いる技術とビジネスモデルのイノベーションが利潤の主要な源泉だった。各国政府は国境の壁を低くして労働力の移動をしやすくし、経済への介入をできるだけ控えることで競争によるイノベーションを促した。昔から模倣は巧みでも創造は苦手の日本はその間、得意技を発揮できず、「失われた30年」を余儀なくされた。

 そのグローバリゼーションが格差の拡大や金融危機、移民の増加で行き詰まった。各国は国境の壁を再び高くし始め、経済への介入を強めた。「ネオ重商主義」と呼ばれるこの路線は高度経済成長の時代の日本政府がとった政策に似ている。その時代がこれから先、形を変えて反復される可能性がある。それは左派・リベラル派が息を吹き返す可能性のある時代でもある。

30代 衆院選での中道改革連合、共産党、れいわ新選組、社民党の惨敗ぶりをみると、とてもそんな感じがしない。

年金 社会党、共産党、新左翼に勢いがあったのは高度経済成長の時代だ。60年安保闘争があり、革新自治体が誕生し、全共闘の大学占拠があった。

 左派・リベラル派の行動原理は再分配を重視する「大きな政府」路線だ。再分配の拡大には絶え間ない税収の伸びが必須の条件となる。それが可能になるのは、右肩上がりの成長が続くときだ。

 日本の高度経済成長時代には、増え続ける税収を使って、社会保障の拡充や公害の防止、差別の解消などを進めることができた。そのとき、しぶる政府や自民党を突き上げ続けたのが左派・リベラル派だった。それがなければ、日本の福祉はここまで進まなかっただろう。

30代 では、もし日本が新たな成長の時代に入り、富の再分配の拡大の余地が広がったとして、そのとき左派・リベラル派は何ができるだろう。

年金 少なくとも言えることは、かつての高度経済成長時代の社会党、共産党、新左翼のような振る舞い方を再びすれば、国民の大多数から見放されるだろうということだ。

 当時のこれらの政党、諸党派は、今の国民が嫌う「上から目線」を常用していた。見かけはそうではなくても、その源流は知識人の前衛党が大衆を導くというレーニンの考え方にさかのぼる。社会主義なら社会主義というイデオロギーを身に着けた知識人が、それを労働者や農民に説き、啓蒙するという考え方だ。

 中道改革連合にもその残滓があった。「中道」の理念は、右・左・中間というイデオロギーの物差しで政治をとらえたものだ。それは右でも左でもない「中道」こそが正しいのだという「上から目線」をともなっていた。それがこの党を惨敗させた要因のひとつだ。

 現在の国民は高度経済成長時代の国民とは違う。貧困を脱し、当時より高い生活水準を手にしており、それに相応する処遇、敬意を求めている。「上から目線」は最も嫌いなことのひとつになった。

30代 高市のほうこそ右派イデオロギーの塊のように見えるが。

年金 高市は「日本列島を、強く豊かに」という富国強兵のイデオロギーを持ちながら、国民にはそれに従えとは言わずに、自分が「働いて働いて働いて働いて働いて」実現すると訴え、「高市早苗が、内閣総理大臣で良いのかどうか、今、主権者たる国民の皆様に決めていただく」と衆院の解散理由を語った。彼女は「上から目線」がタブーであることをよく承知していた。

 左派・リベラル派にとって、焼け野原に放り出されたような衆院選の惨敗は、持病の「上から目線」を捨て去るまたとないチャンスと言える。彼らの掲げる「多様性」「個人の尊重」「自由」といった理念は本来「上から目線」とは対極にあるはずだが、それをイデオロギーとして説き始めたとたんに、「目線」は「上から」へと反転する。

新たな成長の時代が始まれば、富の再分配の拡大を土台に「多様性」「個人の尊重」「自由」を広げることが可能になる。そのときに左派・リベラル派がしなければならないことは、それらの理念を説いて回ることではなく、自らが「働いて働いて働いて働いて働いて」その実現に力を惜しまないことだ。