座付の雑記 33 やらなくてもいいこと
たまたまふらっと立ち寄った喫茶店で手にした本に今も導かれている。ぽっかり空いた時間を埋めるため旅先で近くにあった店に入ったのだが、点滴コーヒーと店主が自虐的に名乗っているごとく、一杯煎れるのによくもまあこれだけ手間暇かけられるものだと思うほどじっくりと作ってくれた。6,7人も入ればいっぱいになる狭い店舗な上に焙煎機がかなりの場所を取っている。40過ぎかと見える優しい声をした店主は、それを使うにはあれこれと物を移動しないといけないと苦笑した。たぶん、コーヒーに取り憑かれた人だから、言うほどには苦痛に思っていまい。
目の前で淹れているので、当分出てこないことは見ていればわかる。その間読もうと書棚を見ていたら1冊の薄い本が目にとまった。出版社を知っているぐらいであとは初めてみる書名と著者名だった。こんな、予定とかけ離れた時間にいつも読むような本など手にしたくないので、百ページしかない消え入りそうに慎ましい装丁の本の方につい手が伸びた。
読み始めてしばらく経って、ようやくできたコーヒーが目の前に置かれた。特別うまくてかなわんということもなかったが、手間暇というのは味に出るものだなあと思った。値段はそれなりにしたが、こんなに一杯に時間をかけていたんでは、儲けに興味があるとはおよそ考えられない。まあぼくが手にした本もそんな人じゃないと選びそうにない。
著者はすでに物故者で、亡くなった翌年の2022年に出版されている。50そこそこで亡くなった哲学者を惜しむ人が心寄せて作ったのだろう。空色の罫線が遺されたノートを読んでいるようだ。著者が文中で取り上げている本はどれも未読で、だれかに勧められないかぎり手に取りそうにないものばかりだったが、今の本選びの拠り所になっている。要するにこの小さな店と点滴コーヒーと店主が勧めてくれたのだった。
「誰にたのまれたわけでもないし、やめたからといって死ぬわけでもない。つまり余計なことかもしれないが、私たちは生来、やらなくてもいいことをしないではいられない生き物だ。」
点滴コーヒーに落語教室、やらなくてもいいこと仲間で回し読みしている感じが楽しい。
