ニュース日記 1002 「専守防衛」と「法の支配」
30代フリーター 三上治が「防衛力の強化というのは誰もが使う一般的な言葉であるが、専守防衛論的な意味でこれを使うのと、日本の国家主権の確立、あるいはその行使のためというので随分と違う」と書いている(「高市政権の行方」)。高市政権が目指すのは、このふた通りの「防衛力の強化」のうち「日本の国家主権の確立、あるいはその行使のため」のものであり、それは「国家主義」として打ち出されている、と三上は批判する。では、「専守防衛論的な意味」での「防衛力の強化」とは具体的にどんなことを指しているのだろう。
年金生活者 真っ先に思い浮かぶのは自衛官や海上保安官の処遇の改善だ。
東シナ海などで軍事活動を活発化させている中国を警戒監視する自衛官や海上保安官はかつてない緊張を強いられている。だが、その割には給料は高くなく、自衛隊の隊舎は老朽化し、海上保安官の艦艇内の居住空間は狭く、どちらも厳しい勤務環境・生活環境に置かれている。
こうした処遇の不十分さは、心身のストレスを蓄積させ、任務遂行中に誤認や判断ミスを誘って偶発的な衝突を招き、そのあとも冷静な対処ができずに事態をエスカレートさせる恐れがある。このため、政府は処遇改善のための費用を2026年度予算案にも計上している。この種の「防衛力の強化」は「専守防衛論的な意味」での強化であり、今あるリスクを減らすために必須のものと言える。
30代 中国・北朝鮮の軍事活動の活発化に対応して、やはり新年度予算案に計上されている長射程ミサイルの導入などは、「専守防衛」のレベルを超え、「日本の国家主権の確立、あるいはその行使のため」の「防衛力の強化」ということになる。
年金 それだけ見れば、抑止力の向上と言えなくはないが、相手もまた軍拡をエスカレートさせる。さらに、そうした「攻撃的」な「防衛力の強化」は自衛官らのメンタルも「攻撃的」にする。偶発的な衝突の起きる確率は高まる。
「専守防衛論的な意味」での「防衛力の強化」は、自衛官や海上保安官だけでなく、全国民を対象としたものに拡張することができる。国民の処遇の改善、生活の向上が、中国の脅威や外国人の増加に対する緊張や不安や攻撃性を緩和し、ナショナリズムのエスカレートを抑えることになるはずだ。
そのためのビジョンを本気で示そうとすれば、国民に痛みを求めることになる。だが、本当に必要なのは、その痛みを受け入れてもいいと国民が思うほどのスケールの大きい構想の構築だ。
30代 ロシアのウクライナ侵略、トランプのベネズエラ攻撃に見られるとおり、戦後の世界を秩序づけていた「法の支配」が崩れ始め、代わって「力の支配」があらわになりつつある。そのトレンドに押されて、日本も敵基地攻撃能力の保有など、「専守防衛」からの逸脱に踏み出している。
年金 戦後世界にアメリカが導き入れた「法の支配」は資本主義の要請によるものだ。当時の資本主義は第2次産業を牽引車とする産業資本主義の段階にあった。それは大量のモノを生産し、大量の消費者に売りさばくために、世界規模の巨大な市場を必要とした。言い換えれば自由貿易体制の構築が不可欠だった。アメリカは世界に展開する圧倒的な軍事力と、ドルを基軸通貨に押し上げた巨大な経済力によってその構築を担った。
産業資本主義が利潤の源泉とした都市と農村の落差は次第に縮小していったが、東西冷戦後のグローバリゼーションの進展によって、旧東側諸国や中国、発展途上国の安い労働力が流入し、都市と農村の落差が世界規模で復活した。都市とは西側先進諸国であり、農村とは旧東側諸国や中国、発展途上国を指す。だが、これは他方で、先進諸国の製造業を賃金の安い中国や発展途上国に流出させる作用もした。
そこでアメリカが編み出したのが、世界をマーケットとして金融で稼ぐシステムだ。それはすでに産業資本主義にとって代わっていたポスト産業資本主義がピークを迎えたことを意味する。だが、それは一部の大企業や富裕層だけを潤わせ、製造業の海外移転にともなう失業の増大や低賃金化とあいまって、大きな格差を生んだ。そればかりか、世界的な金融危機を招き、グローバリズムへの疑念を広げた。国家は国境の柵を高くし始めた。その最も露骨な行動が自由貿易に背を向けるトランプの高関税政策であり、それは「法の支配」の棄損を意味した。案の定ベネズエラを武力攻撃する帝国主義的な振る舞いに出た。
それに同調して「力の支配」による国家主義に向かっているのが高市政権だと三上は見る。「法の支配」から「力の支配」への傾斜は今後、長期にわたって続くだろう。流血の戦争、無血の戦争をともないながら。グローバリゼーションの限界に突き当たったポスト産業資本主義が次の段階の資本主義に移行するのに国家主義を必要としているからだ。
しかし、「法の支配」は弱まったとはいえ、消滅したわけではない。戦争が人間を法的関係に立ち入らせる、とカントが言ったように(「永遠平和のために」)、どこかで必ず復活する。
