老い老いに 60

 2005年の我が家は、3人の子たちの卒業、進学、就職とあれこれ重なり、気ぜわしい始まりになった。4月になると長女が帰ってきて、入れ替わりに長男が出て行った。

 子どもたちの生活は一変した。長女は社会人1年生。仕事を一つ一つ覚えていかねばならなくなっただけでなく、病院の建物が違った場所に新築・移転になるというので、引っ越し業務も加わって大忙しの日々だ。長男は、寮での生活に入った。東京まで付いて行き寮から出てしばらくすると、「さびしい」と一言だけのメール。その心細さを思うと家に着くまで涙が止まらなかった。時折来るメールには、慣れない生活と受験勉強の大変さが綴られていた。軌道に乗ったのは大型連休明けぐらいか。二男にはこっちまで振り回された。料理などしたことがないのに調理科に入ったのだから。まず最初はキュウリの輪切り。合格するまで家で練習するようにということで、どれだけのキュウリを刻んだことか。次はオムレツ作り。何パック卵を買ったやら。それから鯵の三枚おろし。毎晩鯵の刺身ということもあった。

 新病院への移転が終わり、8月からは新しくなった設備など覚えねばならないことが山積みの長女。夏休みに入って2週間ほど実家で過ごして里心がついたのか、夏の終わりごろに弱音を吐くようになった長男。何とか高校生活に馴染んできた二男。子どもたちがそれぞれの歩みをしている頃、夫に異変が起きた。2学期が始まって1週間ほど過ぎた朝のこと。背中から胸にかけて締め付けるように痛むと言う。母が亡くなる年の夏に似たようなことを言っていたことを思い出した。「このところ忙しかったから肩こりがひどくなったんだろう」という夫に、「頼むから病院に行って。肩こりなら肩こり外来に回ればいいんだし」と強引に病院に行かせた。そしたら昼過ぎに職場に電話があり、カテーテルをするのですぐに来てくれとのこと。仕事のことは同僚に任せ、病院に駆け付けた。娘も仕事着のまま主治医の説明をそばで聞いてくれるので心強い。今回の痛みは冠状動脈の狭窄によるもので、狭心症との診断。週明けにカテーテル手術を行うのでこのまま入院することになった。12年前、解離性大動脈瘤で運ばれた際も即入院だった。2度目の大病。これをきっかけに、早期退職を本気で考えるようになった。