座付の雑記 25 BSSラジオ
BSSラジオにあいさつに行くのですが、先生もどうですか、と誘われた。あいさつというのは、落語教室生のあーとが10月13日にピアノ、うた、落語のチャリティーライブで県民会館を満席にしたのだが、その模様を早いうちから取材していたのがBSSだった。それぞれの練習風景も家での様子もアナウンサーがでかけていって取材録音をしている。東奥谷の我が家もそのうちの一つだ。それらにライブの本番の様子を加えたものが30分の特別番組になり、この11月2日に放送された。このほかにもラジオを通じて応援してくれていたので、お礼に行くから同行しないかというのである。座付き作者風情がついていようがいまいが何の違いもないのであるが、こういうことでもなければ放送局に入ることもないだろうから、と見学に行くことにした。
指定されたのは、企画者太田アナウンサーの担当番組が終わる時間で、スタジオ前で待っていると、生放送を終えた太田、中岡二人のアナウンサーが出てきたので、たがいにあいさつを交わした。
先の番組は、年明けの1月2日の午後6時半から再放送されることになっている。その際、あーとのインタビューを追加したいので、今日はその録音をさせてほしいということだった。案内されて入ったのは、小学校の放送室より一回り程度大きいスタジオで、放送機器はたくさん並んでいるが、いずれも一つの事務椅子に向かっていて、どう見ても一人の仕事場という設えである。聞けば、アナウンサー一人での放送は、ここでその一人がすべてを操作するのだという。思わず「音楽の風車も?」と聞くと、昔は技術担当がいたが、人員削減の流れに抗えず一人になったそうで、言いながらボタンを指先で押すと、開局以来70年以上365日変わらず流れているあのテーマ音楽が室内に流れた。
音楽を流し、リクエストを読み、かけた曲名をパソコンに入力し、宣伝に切り替え、いくつものスイッチを押しながら機械から機械へ行き来し、さらに次回の選曲をし、と煩雑極まりない作業だ。これをたった一人で毎日しているのかと驚いた。「音楽の風車」は物心ついたときからあるのが当たり前で、こんな機会でもなければ、技術の熟達があればこそ維持されているのだということなど思いもしなかっただろう。
放送局に来たのには実はちょっとした企みがあった。名手中岡みずえさんに出雲弁落語で関わってもらえるよう口説くというのがそれだ。50年聞いてきた名アナウンサーを前に少々臆してしまい、これはどうやら不首尾に終わったようだ。
