ニュース日記 992 「台湾有事」発言の狙い
30代フリーター 高市早苗が、台湾有事で中国軍から米軍への武力攻撃があれば、集団的自衛権行使の条件として安保法制で認められた「存立危機事態」になりうる、と衆院予算委員会で答弁したと報じられている(11月8日朝日新聞朝刊)。
年金生活者 歴代内閣の公式見解を踏み越えたこの発言からは、保守層やトランプを喜ばせ、高い内閣支持率を維持しようとする意図がうかがわれる。
30代 彼女は立憲民主党の岡田克也の質問に答えて次のように述べている。
「台湾を完全に支配下におくためにどういう手段を使うか。単なるシーレーンの封鎖かもしれないし、武力行使かもしれないし、偽情報、サイバープロパガンダかもしれない。それが戦艦を使い武力の行使をともなうものであれば、どう考えても存立危機事態になりうるケースだ」(同朝刊)
年金 高市はそう述べる前に「例えば海上封鎖を解くために米軍が来援をする、それを防ぐために何らかの他の武力行使が行われるといった事態も想定される」と語っていて、そうした状況のもとでの中国軍から米軍への武力攻撃が念頭にあると推察される。
しかし、歴代内閣の公式見解は、そうした事態を「どう考えても存立危機事態になりうるケース」とはひと言も言っていない。安倍晋三は国会で「米国が攻撃を受け、それにより日本を守るための米軍の活動が不可能になれば、我が国の存立を脅かす明白な危険が生じる」として、それを存立危機事態の事例のひとつとして挙げた。だが、中国がアメリカに対し「戦艦を使い武力の行使を」をすれば存立危機事態になりうるとは言っていない。
30代 高市がそうした過去の政府見解を知らないはずがない。にもかかわらず「どう考えても存立危機事態になりうる」などと、事態の発生の諸条件をすっ飛ばして短絡的な言い方をしたのはなぜだ。
年金 おそらく歴代内閣、とりわけ石破茂内閣との違いを際立たせ、自らを支持する保守層の期待にこたえるとともに、同盟国に軍事的な負担を求めるトランプの意向を忖度した結果と推察される。
高市はSNS上で、右派・保守派の支持者から、石破と違って台湾や尖閣諸島、ウイグル、南シナ海などの問題について中国に次々と懸念を突きつけている、といった賛辞を浴びている。それらの懸念は石破内閣も習近平に突きつけていたものだが、高市支持者にはそれが見えない。このことは高市絶賛が誤解ないし無知に基づいたものが多いことを物語っており、それが知れわたれば高い支持率も崩れていく危険をはらんでいる。
高市としては、ここで「本当に」石破ら歴代の首相が言わなかったことを言って、高支持率を保つ必要を感じたのかもしれない。高関税などで日本国民を警戒させているトランプの機嫌をとって、「これで大丈夫」と国民に言いたいのかもしれない。少数与党という政権基盤の弱さを補うために、歴代自民党政権が自らの存続のために頼ってきた米政権からの支持をどの政権よりも確かなものにしたいのかもしれない。
高市は答弁の中で「実際に発生した事態の個別具体的な状況に即して、全ての情報を総合して判断しなければならない」とことわり、従来の政府見解との整合性を問われたときの逃げ道を用意していた。後日の衆院予算委員会でこの件を質されたとき「政府の従来の見解に沿ったもの」と答えている。つまり「公式見解からの逸脱」は実は見せかけであり、保守層向け、トランプ向けの演出だったと見ることができる。
30代 もし台湾有事が起きて、高市が言ったような「どう考えても存立危機事態になりうるケース」が発生し、政府が集団的自衛権を行使しようとしたら、国民は同意するだろうか。
年金 多くは安保法制を支持する人びとも含めて反対するだろう。それこそ本当に存立危機事態を招きかねない、と。
集団的自衛権の行使とは、「自衛」の名がついていても、実際には「先に手を出す」ことだ。日本国民は80年前の敗戦で、「先に手を出す」ことがどれだけ大きな犠牲と代償を強いられるかを思い知らされた。それが憲法9条に結晶した。
2020年の朝日新聞の世論調査では、存立危機事態に集団的自衛権の行使を認める安保法制に「賛成」が46%と、「反対」の33%を上回っている。存立危機事態の認定にはいくつもの条件が付けられており、それをクリアするような事態が発生する兆候は今ないし、事態を具体的に想像することも難しい。「賛成」した国民の多くは、現実に事態が認定され、集団的自衛権が行使される可能性が高いと考えているのではなく、法に書き込むことによって、他国に侵略を思いとどませる「抑止力」を期待していると推察される。つまり「先に手を出す」気はないということだ。
世界各国の国民の意識を比較した「世界価値観調査」(2017年~22年)によると、「もし戦争が起こったら国のために戦うか」という問に対し、日本は「はい」の比率が13・2%と、世界91カ国中最低となっている。これは何があっても「先に手を出す」気はないという強い意思の表れでもある。
