座付の雑記 22 謝礼

「謝礼はどのくらいお渡しすればよいでしょうか」

 聞かれる度に、そうだよなあ、はっきりしてほしいよなあ、と相手の戸惑いを慮りつつ、こっちはこっちで戸惑っている。挙げ句、

「お気持ちのままに」

 など言って、「はあ・・」と当惑をさらに深めさせてしまっている。申し訳ない気持ちがしてくるが、今のところ他の手立てが浮かばない。仮にある金額を定めてしまったら、それはビジネスであって、こども落語の対価になってしまう。わかりやすくなるかわりに、そのお金が出せないところには行かないとしないと辻褄が合わなくなる。「ボランティアですから一切受け取りません」とするのもわかりやすいことこの上ないが、吹けば飛ぶよな零細塾とはいえ、運営には金がかかるのだから、すべてこちらで手出ししますというのもすっきりしない。年金も出るようになったし、あとは恩返しだ、と割り切れたらどんなにいいかと思うが、ちょっとした小銭をいただいて、あれに充てようかこれに充てようかと考えることの喜びをどうにも手放せない。

 さて、先の当惑顔の依頼者を前にすると、

「まあ、そう言ってもお困りでしょうから、よくあるパターンをご参考までに申し上げますとね・・・」

と、ついつまらんことを付け加えてしまう。結果、お気持ちのままに、は子どもたちへのお菓子にと姿を変える。実際子どもたちはそれに大喜びで、少しだろうとどっさりだろうと、きれいな包装紙に包まれていようとむきだしだろうと何の差別もない。お菓子がもらえるから落語をやっている、と公言する子もいるくらい最高の謝礼なのだ。

 今年の2月、閉校を目前に控えた高尾小学校で最後の寄席が行われた。かつてここで落語をし、長じて高校生や大学生、社会人になった面々も集った。寄席の出し物の一つとして彼、彼女らがステージに並び、司会者の質問にパネルに書いて答えるというコーナーがあった。どういう質問であったかわすれてしまったが、寄席をして得た物で何がうれしかったかを問われたある高校生が「豚汁」と書いていた。それについて聞かれると、

「どこで出されたんだかまったく覚えていないんですが、これがおいしくてうれしかったんですよねえ」

と言った。瞬間、ぼくも思い出した。味とお椀を差し出すおばさんの手、ああ確かにあれはうれしかった。ぼくもそれ以外は何も思い出せなかったが、お金もお菓子も図書カードも、一杯の豚汁に叶わないのだ。

「お気持ちのままに」。やはり、これしかない。