老い老いに 51

これまでの書き手に加え、新たな書き手の文章も載せながら、夕焼け通信は11年目に突入する。詩でお馴染みのM・Aさんは「心」を掘り下げ、さらに補助教材の域としながら皆に配られる「心のノート」について問い続けられた。新顔のK・Kさんは、『海峡を越えて~五十猛物語~』のタイトルで寄稿される。朝鮮と日本の関係史を調べている方で、朝鮮半島からの渡来を受け入れた五十猛の歴史が綴られた。

 その他、横田で行われたドキュメンタリー映画祭で行われた姫田忠義・土本典昭両監督の対談記録が編集長のテープ起こしによって掲載されている。

 そうした中、いつの間にか夕焼け通信は500号目を迎えていた。気が付いたら達していたという感じだ。300号が圧巻だったのに比べ、400に続きこの回もいつもの号と同じように淡々と発行されている。こういうのを軌道に乗ったというのか、当たり前になったというのか。編集後記の文章がそのあたりをうまく表現しているので全文を載せる。

 福岡の犬養光博さんは、決して終わっていないカネミ油症事件を告発するために、「月に一度の座り込みを30年以上続けておられる方です。先日、400回記念のお誘いが届きました。「雨の日も、風の日も、嵐の日も、雪の日も、朝7時から夜7時までの12時間、カネミ倉庫株式会社の正門前で座り込みを続けてきました。それは無駄な時間であったのか、大切な時間だったのか、本当のところは分かりません。でも、この座り込みがなければ、今のぼくが無いことだけは確かです。」きっとどんな自発的行為も、その背後でいつも「そんなことは無駄」というささやきを聞いているのでしょう。いつそれに屈しても不思議はないのですが、それでも持続しているのは、犬養さんが最後に書かれていることに尽きるような気がします。

 週一回、思いを綴る。印刷する。発送する。この繰り返しの中で、信頼できる人々と思いを通わせ、そして出会う。その都度の大小さまざまな心の起伏が私の健康を保ってくれています。偉そうなことは言えません。『道楽』なのです。500号続いたのだから、「道楽」も少しは堂に入ってきたってところでしょう。お付き合いいただいているみなさまにあらためて感謝申し上げます。