座付きの雑記 18 おきみやげ

 先月の隠岐公演に、小さな子を二人連れて見に来ていたお母さんがいた。その夜、塾宛てにメールがその母親から届いた。子どもが落語にとても興味をもっており、何とか応援したいのだが、という内容だった。

 その少し前にも、松江市内だけれども土日にしか連れて行けない、稽古をしてもらうことはできるでしょうか、という問い合わせがあった。

 いずれも断る理由はすぐに浮かべることができる。遠隔地ではさすがに無理ですね、とか、やはり面と向かって稽古ができないとなると、などの恣意的な線を引いて。

 寄席の依頼も同じように選ぼうと思えば選べる。「経費はいくらみておけばよいですか」とよく聞かれるが、ぼくはここで金額を示してもよいのである。実際に運営にはお金がかかっているのだから。でも、ある金額を言った途端に、さーっと線をひくことになってしまう。その線はくるくると蔓を伸ばして、やがて手足をしばりつけてくる。それが嫌さに「それは主催者にお任せします」とぼくは答える。

 問い合わせのあった先の二人は、どちらも今教室生である。直接稽古はできないから、リモートですることにした。3歳と4歳の子なので、五歳の教室生に頼んだ。家で簡単な小咄を録画して送り、それを見ながらやってみた動画を送り返すという、子ども同士の通信教育である。そうして話を覚えた二人が、ついこの間、寄席に出演した。お客さんは、覚え立てのしかも手本が同じなのだから同じ小咄を一生懸命に演じる二人に笑い、惜しみない拍手を送ってくれた。

 ちなみに隠岐の三歳児は、初高座を含む二日間で三つの寄席を本土で行って隠岐に帰った。そして間を置かず、保育士さんたちが企画した凱旋高座に上がり、こどもたちや職員に大受けしたそうだ。保育園から笑顔いっぱいで帰ってきて、すぐに次のネタに挑戦しているというから頼もしい。ぼくもその熱意にこたえるべく、ほかの教室生に手本動画を依頼し、すぐに送った。次の寄席までにはできそうだと連絡があった。

 稽古に来られないという子どもたちが、やりようはいくらでもあるよ、と教えてくれたうえに、新しい道を開きつつある。隠岐と本土の子ども同士の交流や高齢者施設への未就学児ユニットでの訪問など。

 一人の子を受け入れるということは、その子を通じてそこから先に広がることでもある。新たに人を得るというのはおもしろいことだとつくづく思う。円山応挙には千人の門弟がいた。応挙は限界など決して設けなかった、ということだろう。