ニュース日記 985 最近のナショナリズム
30代フリーター 移民の制限を主張する右派政党が各国で勢力を伸ばしている。アメリカではトランプに率いられた共和党MAGA派、フランスでは国民連合、ドイツではドイツのための選択肢、日本では参政党……。
年金生活者 それらに共通しているのは、それぞれの国の固有の歴史に根差したアイデンティティーを拠りどころにしてナショナリズムを刺激するのではなく、移民の制限という実利的な理由から排外主義的な主張を掲げている点だ。
参政党の「日本人ファースト」はトランプの「アメリカファースト」の模倣だ。アメリカの労働者が移民に仕事を奪われている。よその国を優遇しすぎてきたせいだ。そんなトランプの主張を日本に当てはめようとしている。
「ファースト」を主張するのは、日本は天皇が統治する神国だからとか、大和魂を持つ日本民族は優れているからとか、といった理由からではない。移民を受け入れれば、日本人は仕事を奪われ、貧しくなるからという利害が主張の根拠になっている。アイデンティティーではなく、利害にもとづくナショナリズムは国から国へと感染しやすく、グローバル化する。
30代 同じナショナリズムでも、中国共産党の「愛国」と先進諸国の右派政党の「自国第一主義」には違いを感じる。
年金 中国には先進諸国のような「移民問題」がほとんどない。ただ、似たような問題はある。国内の農村から都市へ大量に流入する出稼ぎ労働者「農民工」が労働条件・教育・医療・社会保障などで差別を受けており、彼らはいわば「国内移民」だ。これは、かつて農村を安い労働力の供給元として発展したモノづくり中心の産業資本主義の構造が中国にまだ残っていることを示している。
農民工の問題を放置すれば、彼らと都市住民との間に分断が深まり、社会が不安定化する。それを覆い隠し、国民に「統合」を促す理念として中国共産党が使っているのが「愛国」だ。このことは、「帝国」としての歴史が長い中国が西洋列強に半植民地化され、それをはね返すために目指した近代的な「国民国家」の建設がまだ途上にあることを物語っている。
30代 「帝国」の原理が「多様性」にあるのに対し、「国民国家」の原理は「同質性」にあり、両者は対照的であるはずなのに、現在は「国民国家」に特有のナショナリズムに傾斜する「帝国」の姿がきわ立っている。トランプの「アメリカを再び偉大な国に」、習近平の「中華民族の偉大な復興」、プーチンの「強いロシア」といったスローガンがそれを象徴する。
年金 そうした「帝国」と「国民国家」のハイブリッドは、それぞれの国が抱える統治の危機を物語っている。アメリカは現在、「世界帝国」すなわち覇権国家の座からずり落ちつつあり、それが統治の危うさを招いている。中国では独立の可能性をはらむ台湾の存在が以前にも増して共産党の支配を脅かしている。ロシアの場合はウクライナが中国にとっての台湾に相当する。
それらはいずれも「帝国」の統治に入った亀裂であり、それをふさぐために動員されたのが「国民国家」に特有のナショナリズムにほかならない。「帝国」の域外にあって「帝国」を支えてきたものにひび割れが走り、それを「域内」からふさごうとして「同質性」の原理に助けを求めたと言ってもいい。
「帝国」の「多様性」は広い域内に様々な勢力を抱えているところにある。そのぶん程度の差はあれ分権的な統治を強いられ、中央の権力は制約を受ける。それを補うのが、周辺の「服属国」からの忠誠だ。「帝国」はそれをつっかえ棒に国内を統治する。米、中、ロの各「帝国」が遭遇する危機は、いずれもこのつっかえ棒の不具合に由来する。
「帝国」と「服属国」の関係は、柄谷行人の交換様式論を借りて言えば、交換様式B=服従と保護(略取と再分配)に相当する。Bは現代では国家と国民の間の富の再分配が主なものだが、「帝国」と「服属国」の関係にも当てはまる。
覇権国家=「世界帝国」だった前世紀後半までのアメリカは同盟国という名の「服属国」、すなわちNATO諸国や日本、韓国などに「服従」と「略取」を上回る「保護」と「再分配」を与えることができた。それだけの圧倒的な軍事力と経済力があった。それを支えたのが第2次産業を牽引車とする産業資本主義だった。
30代 そのおかげで「服属国」の経済は成長した。
年金 他方、アメリカは第3次産業を牽引車とするポスト産業資本主義の段階に移行し、その前の産業資本主義の時代のような高度経済成長を望めなくなった。「保護」と「再分配」が「服従」と「略取」を上回るアンバランスにだんだん耐えられなくなった。
それに不服を唱えたのがトランプの「アメリカファースト」だ。「ファースト」とは、「帝国」として「服属国」の上位に立つことをやめ、対等な関係を建前にして自国の利益を最優先にディールをすることを意味する。国家間の関係を交換様式BからC=商品交換(貨幣と商品)に転換することと言ってもいい。高関税もDEIに対する敵視も移民の制限もそこから発している。